こんにちは、スズケーです。
夕方、何気なくネットでニュースを見ていたら、
衝撃的なニュースが飛び込んできました。
ペシャワール会の中村哲医師が、アフガニスタンで銃撃され死亡した、と。
その少し前に「中村医師がアフガニスタンで銃撃され、病院に運ばれたが命に別状なし」というニュースを読んだばかりで、
ああ、命の危険がなくよかった、と思っていたところだったので、なお一層衝撃的でした。
中村医師だとわかって銃撃されたのか?
アフガニスタンという国にあれだけ尽力された方が、
なぜその国で殺されなければならないのか。
時に世界はなんでこんなにも、残酷で無慈悲なのだろう、と思う。
中村哲さん
中村哲さんは、ペシャワール会と言うNGOを率いるお医者さんです。
日本国内の病院勤務を経て、パキスタン北西辺境州(現:カイバル・ パクトゥンクワ州)の州都・ペシャワールのミッション病院ハンセン病棟に赴任し、パキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療を始めました。
その傍らで、難民キャンプでアフガン難民の一般診療にも携わっておられました。
ご自身はクリスチャンだそうですが、アフガニスタンの人々の信仰や価値観に最大限の敬意を表しながら活動を続け、
2018年にアフガニスタンの国家勲章を受章、2019年10月7日には同国の名誉市民権を授与されていました。
2019年12月4日、灌漑用水事業の進行を確認するため、アフガニスタン東部ジャララバードを車で移動していたところ銃撃を受けました。
中村医師は右胸付近を撃たれ、当初は負傷と報じられていましたが、ジャララバード空港から首都カブール近郊の病院に運ばれる途中、死亡が確認されたそうです。
現時点では犯行声明は出ておらず、襲撃の狙いも不明。
ツイッターでは”ナカムラ”と書かれたハッシュタグ「#ناکامورا」に、ダリー語やパシュトゥー語で、恐らくアフガニスタンの人々や、アフガニスタンに関わる人から中村医師への追悼メッセージが続々と寄せられています。
本当に、何故、こんなことが。
中村医師を失うことは、アフガニスタンにとってデメリットでしかないはずではないか?と思うのですが、なんでこんな事が起きてしまうのでしょう…
この殺人行為にどんな大義名分があるというのか。
ペシャワール会
ペシャワール会は、その中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で1983年9月に結成された国際NGO(NPO)です。
1989年からはアフガニスタン国内へ活動を拡げ、山岳部医療過疎地でハンセン病や結核など貧困層に多い疾患の診療を開始。
2000年からは、アフガニスタン国内で病気が蔓延する原因の一つは慢性の食糧不足と栄養失調であり、その改善のためには沙漠化した農地の回復が急務だと考え、飲料水・灌漑用井戸事業に着手。
現在もアフガニスタンで、ダラエヌール診療所、農業事業、灌漑事業、訓練所でのPMS方式取水技術の普及活動に尽力しています。
中村哲医師とペシャワール会の農業事業、灌漑事業の成果の様子は、
在アフガニスタン日本大使館のfacebookページでも紹介されています。
個人的には、中村医師あってこそのペシャワール会ではないか、と思っていたので、
今後ペシャワール会がどうなっていくのか、とても気になっています。
ペシャワール会は、2008年にアフガニスタン現地日本人スタッフ・伊藤和也さんが拉致殺害されて以降、中村医師を残して日本人スタッフを全て撤収しました。
確か現在も、長期的に滞在して活動されている日本人スタッフは中村医師のみだったのではないかと。
ペシャワール会の方も「事業は中止しない それが中村医師の遺志」と言っておられますが、従来のような形で続けていくのは難しいかもしれないとのこと。
「あの事業は中村という人物でなければできなかった」とも。
改めて、中村医師がどれだけすごい方だったのか、というのを思い知らされます。
中村医師の志を真っすぐに継いだまま、活動が存続するといい、と願います。
中村哲さんを知る本
著書も多数あり、中村医師がどのように、そしてどんな思いでアフガニスタンでの活動を続けてきたのかを垣間みることが出来ます。
- 『ペシャワールにて 癩そしてアフガン難民』石風社 1989年
- 『ペシャワールからの報告 現地医療現場で考える』河合ブックレット 1990年
- 『アフガニスタンの診療所から』筑摩書房 ちくまプリマーブックス 1993年 のち文庫
- 『ダラエ・ヌールへの道 アフガン難民とともに』石風社 1993年
- 『医は国境を越えて』石風社 1999年
- 『医者井戸を掘る―アフガン旱魃との闘い』石風社 2001年
- 『ほんとうのアフガニスタン―18年間“闘う平和主義”をつらぬいてきた医師の現場報告』光文社 2002年
- 『医者よ、信念はいらないまず命を救え! アフガニスタンで「井戸を掘る」医者中村哲』羊土社 2003年
- 『辺境で診る辺境から見る』石風社 2003年
- 『アフガニスタンで考える―国際貢献と憲法九条』岩波ブックレット 2006年
- 『医者、用水路を拓く―アフガンの大地から世界の虚構に挑む』石風社 2007年
- 『天、共に在り―アフガニスタン三十年の闘い』NHK出版 2013年
私は初の自伝だというこの本だけ読みました。
ご自分の活動を「困っている人がいたら手を差し伸べる、それは普通のことです。」と、ごく当たり前、そして簡単なことの様に語っておられますが、
この本に掲載されている灌漑・水利事業がアフガニスタンに緑をもたらした実際の結果写真からも、ものすごいことをやられた方だと言うのは十分に伝わると思います。
今アフガニスタンに本当に必要なものは何かを考え独自に行動していく様子や、口先だけではない行動力に、感動せずにはいられません。
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神とは
中村医師はクリスチャンで、アフガニスタンは多くの人々がムスリムかと思いますが…
前述した通り、中村医師はアフガニスタンの人々の信仰や価値観に最大限の敬意を表しながら活動を続けておられ、タリバンも”アフガニスタンの再建に貢献した”と、中村医師の活動を認め、敬意を表しています。
もちろん今回の襲撃に関しても関与を否定。
果たして、中村医師を襲撃したのは誰で、何の目的だったのか、というのがとても気になっています。
例えばもしこれが、イスラームやアッラーの名を掲げた組織の犯行だったとするならば、一体彼らにとっての神とは、宗教とはなんなのか、と思うし、
そもそも神はいるのだろうか?とも思う。
ペシャワール会の支援や恩恵を受けることが出来ない人々の妬み?
けれどもいくら中村医師だって、アフガニスタンの全ての人々に何かを与えられる程万能ではないのだし、
今はまだでも、これから何らかの支援が届くこともあったかもしれない。
だとしたら彼らは自分の手でその可能性を消してしまった。
そういうこともわからない程、理性を押さえられない程、人は愚かなのか。
なんにせよ、これだけアフガニスタンに力を尽くし、人生をかけて来た人への報いが
その地で銃弾を受けることだというのならば、あまりにも惨い。
心からの信仰を持たない私なんかには何もわからないけれど、
神がいるのであれば、多分それは、私達が考えるような、ただひたすら慈悲深く、人々に慈しみだけを与えるような存在とは違うのかも。
それとも私達人間は、神の慈悲を受けるに値しない存在だとか?
中村医師程の人であっても?
せめて、中村医師を銃撃したのが、ご本人が愛してやまなかったであろうアフガニスタンの人々でないといいなとぼんやり思いながら、
今もこの事件に関わるニュースを見ています。
中村医師のご訃報に接し、心より哀悼の意を表すとともに、
安らかなお眠りをお祈り申し上げます。
お読みいただきありがとうございました!
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