こんにちは、スズケーです。
今回のパキスタン滞在で、何度も何度も聞かれたこと。
結婚してどれくらい?なんで子供いないの?
いやーもう、ほんと、みんな絶対聞くねっ!
私は選択子なしなので、聞かれても「チッ、ウゼーな」くらいしか思いませんが、
例えば子供が欲しいと思っていてもできない妊活中の方とか、
体の問題などで子供が産めない方などは、
パキスタンに行ったら、何度も聞かれるこの質問に
傷つく人も多いだろうなぁと思います。
フンザの友人で、結婚8年目で、その間に二度流産した女性がいます。
幸い9年目に妊娠・出産しましたが、
それまでの間、彼女もさぞ辛い思いをしたのではないか…と。
「子供まだ?」って、相手にとってはデリケートな問題かもしれないし、
こういう質問するの、もうちょっと配慮したいよね。
…パキスタン人にそれを期待するのは無理でしょうか…?
目次
なぜ子供を持たないのか
私達夫婦に子供がいないのはこんな理由。
- 私が子供が好きではないから
- 子供を産んで育てられる自信も気力もないから
- 経済的に不安だから
- 私は自分のことが何より大事なので、子供に振り回される生活はイヤだから
主に私の理由です。
旦那は子供は好きだし、多分子供を欲しいと思っていただろうけれど、
子供を産むのは私の仕事だし、子供を育てるのも多分私が中心になるでしょう。
私も結婚した時は、そのうち子供産むのかな…と思っていたのだけれど、
結婚して、初めて他人とずーっと一緒の生活をして、
「自分以外の人と生活を共にする大変さ」を改めて思い知りました。
私はあんまり協調性がないと言うか、自分本位で、
自分のやっていることに対して人にあれこれ言われたり、自分のペースをくずされるのが嫌いです。
自分が不快なことを我慢をするのも嫌だし、でも自分は好き勝手自由でいたい。
自分がこういう人間であることは把握しているし、これってダメ人間だよなぁということは重々承知しています。
でも変えられないんだから仕方ない。
そんな私が結婚をして、他人と一緒に生活をしている。
外国人であるとはいえ、大人と一緒に生活するだけでもいろいろ不自由に感じることは多いのに、
子供と一緒に生活するとか、絶対無理…!
旦那と結婚生活を続けていられるのは、とにかく旦那の心が広く、私に甘いからです。ありがとう旦那。
旦那と子供について話し合ったこともありますが、
本当に無理だと思って、子供を産むことや育てることが怖くて私が泣いたので、
それ以降何も言わなくなりました。
旦那には申し訳ないなぁと思うこともあるのですが、
でも無理なんだから仕方がない。
なんで好きじゃないの?
なんで子供好きじゃないの?とも言われるけれど、
それはもう、そういう風にしか思わないので仕方がないとしか。
子供を見て、ビジュアルを「かわいいな」と思うことはあるけれど、
「子供だからかわいい」とか思うことは全くありません。
友達の子供とかを見ても「かわいいな」という感想を持ったことはなく、「子供だね」としか思わない。
泣いて騒がれるのも嫌だし、特に赤ちゃんなんかは会話もできないし意思疎通ができないから、私からしたら交流する意義を感じない。
こういうふうにしか思えないのは、自分は人間として感情が欠落してるのかなとも思うのですが、どうしようもできないので…
私がこういう考え方しかできない・こういう感情しか持てない人間であることは
パキスタン人的に言わせていただければ、アッラーが私をこういう人間として生命を与えたわけなので、
何か思うところや苦情があるならばアッラーに言ってはいかが?とお答えしています。
子どものいない人生の歩き方
私は選択子なしで、別にそれに対して今のところ後悔もしてないし、困ってることもないけれど、世の中には「子どもが欲しくて持てなかった」人もいます。
そういう人からすると「子供嫌い」とか言ってる私はイラっとするのかもしれませんが…
でも、子供を持たない理由なんて人それぞれ。
体の問題だという人もいれば、心の問題だという人もいる。
私の場合は、「好きじゃない」「育てる自信がない」という心と気持ちの問題だった。
「子どものいない人」の声をまとめた本も出ていますが、結構興味深いです。
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私は選択子なしなので、不妊治療とかは当然したことないのですが、「アジアのディープな歩き方」の作者、堀田 あきおさん・かよさんの本だったのでだいぶ前になんとなく読んでみました。
不妊治療の体験談が、重苦しくなく描かれていて読みやすかった。
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「アジアのディープな歩き方」については、こちらの記事で紹介しています。
歳をとったらどうするの?
子供がいない、子供が好きでない、ということをパキスタン人に伝えると、次に言われるのは
「歳をとったらどうするのか」ということ。
パキスタンでは、親が老いたら子供がその面倒を見るのが当たり前。
みんな、子供達のために土地や継続できるビジネスを残すことはあっても、
自分のための老後の蓄えはしません。
日本では子供がいたとしても、
子供に負担や迷惑をかけないようにと、自分の老後のための資金を蓄えておく人多いですよね。
誰があなたの面倒を見るの?
パキスタンで子供がいないと言うと、これ、もんのすごく聞かれるんですが…
日本には、老人用に設備が整ったシェアハウスみたいな施設があるんだよと言うととても驚かれます(パキスタンにも老人ホーム的なものは一応あるのにね)。
それと同時に、子供が老いた親の面倒をみずに他人に任せる、
子供が老いた親の面倒を見る時間がないということに不満を感じる人も多いよう。
でも、どちらがいいのかって、ケースバイケースだったり、
人によって違うと思うんですよね。
自宅で自分で親の面倒を見る場合
確かに自分の子供や孫に囲まれて幸せというのはあると思います。
もし親が自分では満足に動けなかったり、病気だったりした場合も子供達が面倒を見るわけですが、
子供達はもちろん医療や介護のプロではないし、間違った行為をしていることもあるかもしれない。
突発的に何か発作などが起きた場合、対応もできないかもしれない。
すぐに適切な処置をすれば助かったはずなのに、それができなかったゆえに命を落とすこともあるかもしれない。
家族には金銭的なものだけでなく、介護をするという負担がかかる。
家族の生活に「介護」という時間的な制約・負担が組み込まれ、仕事にも支障が出るかもしれない。
老人用施設や病院で親の面倒を見る場合
毎日家族に会うことができず、さみしい思いをする人もいるかもしれない。
でも、周囲には医療や介護のプロがいて、何かあった場合もその都度適切な処置をしてくれる。
大きな発作が起きたりした場合、深夜だろうが早朝だろうがすぐに対処ができるため、それで命が助かることもあるかもしれない。
家族には金銭的な負担は大きくなるかもしれないけれど、時間的な制約は全くなく、仕事への支障もあまりない。
どっちも一長一短じゃない?
要は、自分が、自分の家族が、より良いと思えるのはどちらかということ。
フンザは今後もセルフ介護のままなのか?
フンザは長寿の里としても有名な場所です。
100歳以上の老人も多くいます(みなさん自己申告ですが)。
これまでは、老人らはいわゆる大往生で、さほど苦しまずそっと死んでいく場合がほとんどでした。
大きな病気を長いこと患って死ぬ…ということが少なかったため、
子供が老いた親の面倒を見るのが普通だったし、面倒を見ることができたのだと思います。
が、フンザも近代化とともに、食生活や生活習慣など、色々変わってきました。
そしておそらく、そういった変化が原因で、これまでなかった病気になる人も増えてきました。
よく、フンザが長寿の里であるということを謳うために
「フンザではガンになる人が一人もいない」なんて言ったりしますが、それは過去の話。
今のフンザは、癌になる人も癌で亡くなる人もいます。
高血圧、糖尿病、動脈硬化など、生活習慣によって発症する病気も増えました。
こういった病気になった場合、そしてその症状が重くなってしまった場合。
それでも家で、家族だけで面倒が見れるのか?介護ができるのか?
多分フンザの人々の老後の在り方も、
ゆっくりゆっくり変わっていくのだろうなぁと思います。
私はどうする?どうしたい?
子供がいない状態で、老後をどうするのか。
私の場合、今の時点では実感がなさすぎて
どうしたいのかなぁって言うのよくわからないし、迷うところ。
もちろん基本的には、自分たちの老後は自分たちでなんとかすると思っているので、わずかながら老後のための蓄えはしているし、
老いて働けなくなったあとも収入を得られるような形は作っていきたいと思っています。
それ故の資産運用。
老後の資金としては、外貨での積み立て保険と、海外ファンドが今のところ主力です。
外貨での積み立て保険は年払いだし、増えてる状況をチェックできるわけではないため、今のところまだ増えている実感がないんですが、
海外ファンドは着実に増えてるのが毎月確認できるので、毎月ハッピー。
4月と5月、パキスタンにいた間にも、私は何もしてないけど増えてくれてます。
もし「家族の介護」が必要だったり「老いたら家族と一緒にいたい」と思ったら?
その場合は、昔っから大好きな親戚Aに面倒見てもらおうと目論んでいます。
「子供がいなくても、私にはAがいるからノープロブレム」っていってます。
もし私が死んだ時の相続なんかも、
旦那と妹だけでなく、この彼にも分配できるようにしたいなぁと思っているところ。
彼にはなんにも言ってませんが。
国に持ってかれるよりは、大事な人に何か残したい。
老後の話って、まだまだ先のようではあるけれど、
多分ボーッとしていたらあっという間に老いてしまう。
子供がいないから老後どうするの?って言う不安はないけれど、
子供がいないから、自分自身で考えをまとめない分、早めの準備が必要だなぁとは思います。
主に金銭面とか、コツコツ準備していきたいです。
最近はマネーセミナーに参加してみたりして、
老後に必要な資金についてや、お金の上手なため方・増やし方について、プロの視点からのお話を聞いたりしています。
全国各地でやってるし、参加費も無料。
おいしいスイーツとお茶もついてきます。
参加してプラスにこそなれ、損する事はないですので、ご興味のある方はチェックしてみるといいと思います〜。
私は参加してよかったですよ。
お読みいただきありがとうございました!
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初めまして。
ムスリムの方との結婚を考えている傍ら、自分は改宗したくないという気持ちがあり、悩んでいたところ、このサイトを見つけました。
とても興味深い内容ばかりでした。
選択子なしの記事に対してこの質問が適切か分からないのですが、もし良ければお答えしていただけると幸いです。
ムスリムと非ムスリムの間に生まれた子どもで、ムスリムでない子どもをまだ見かけたことがないのですが、子どもも自分と同じように非ムスリムとして育てることは可能なのでしょうか。
かなり前の記事に質問し、失礼致しました。
meoさん
こんにちは。
> 子どもも自分と同じように非ムスリムとして育てることは可能なのでしょうか。
単に可か不可か、という話であれば、
イスラム的には原則不可ですが、
実際には可能…と言うか、結果的に子供がイスラムから離れてしまう例はあります。
どの章に書いてあったかは忘れてしまいましたが、
クルアーンに「子供はその父親に帰属する」という内容が記されていたはずで、
イスラームでは、子供が生まれれば子供はムスリムになるという扱いとなります
(子供が産まれたらすぐに、父親が子供の耳元でシャハーダを唱える)。
もちろん、周りがムスリムばかりの環境で育てば、子供も何の疑問もなくムスリムとして育つのでしょうが、
例えば日本のようにムスリムがマイノリティの環境で育てば、子供がイスラムから離れてしまうこともやっぱりあるようです
(親がそれを認めるか認めないかは別問題)。
「産まれた時にシャハーダをしているので、ムスリムではあるかもしれないが、気持ちはムスリムではない」感じでしょうか。
これを「親はムスリムだけど子供はムスリムではない」と言っていいのかどうかわかりませんが…
実際に「父親はムスリムだけど、子供はイスラムから離れてしまった父娘」の取材記事がありますので、リンクを紹介しておきます。
https://www.nippon.com/ja/features/c04006/
ここで紹介されている父親は、娘さんの意思を尊重してくださっていますし、
例えばうちの旦那も、もし私達に子供がいてその子がムスリムになりたくないと言ったら
普段私に「わたしとあなたは ちがうにんげんでしょ。かんがえかた べつべつだよ」と言っているように、
おそらく受け入れてくれただろうと思いますが、
中には「子供には幸福になってほしい。そして、ムスリムであることこそが幸福である」という価値観の方もいますので、
そういう考え方の親の場合は、子供が嫌がってもゴリゴリとイスラムを押し付ける形になるかもしれないですね。
meoさんのお子さんがどのように育つか・育てることができるかは、meoさんのお相手の方の考え方次第ですし、
お二人でしっかり話し合うのが大切かと思います。
ただ、今の時点で「子供の宗教は自由だ」と言っていても、
いざ子供が産まれると考え方がガラッと変わる人もいますので、ご注意くださいませ。