こんにちは、スズケーです。
私はフンザ出身のパキスタン人と国際結婚しています。
結婚前から毎年1〜2ヶ月程の滞在を続け、
結婚後は約1年フンザに住み、生活していました。
今は日本をベースに生活していますが、もちろん時々、フンザにも足を運んでいます。
旦那の出身地であるフンザは、パキスタン北部にある、標高7,000m級の峰々を抱えるカラコルム山脈に囲まれた、標高約2,500メートルの渓谷地域です。
荒涼とした山々の麓にある緑豊かな土地は「桃源郷(シャングリラ)」とも呼ばれています。
パキスタンの代表的な観光地として日本人が聞いたことが多いのもこのフンザ。
特にバックパッカー、個人旅行者や、秘境ツアーが好きな方には有名で、
「風の谷のナウシカの”風の谷”のモデルになったのでは?」という噂もあります。
宮本輝小説「草原の椅子」の舞台ともなっていて、2013年に公開された同小説が原作の映画では実際にフンザでの撮影も行われました。
パキスタンきっての観光地であるフンザ。
フンザがどんな場所なのかを、実際に住んでいた時の私の感想なんかも交えつつ、ご紹介しようと思います。
目次
フンザの風土
パキスタン北部の山岳地帯に位置するフンザ
フンザは、パキスタンの首都イスラマバードから北へ約700kmほど行ったところにある、カラコルム山脈の7,000m級の山々の狭間に広がるいくつかの渓谷をまとめた地域の事を指します。
けっして広いとは言えないその渓谷に約3万人の人々が生活しています。
イスラマバードやラワルピンディーから、中国のカシュガルへ向かうナショナルハイウェイである「カラコルム・ハイウェイ(N35)」を北上していくとフンザにたどりつきます。
バスでの所要時間は約20〜25時間ほど。
最近はナラーン経由の新しい道(N15)も開通し、冬期の雪で通れない時期以外なら、ラワルピンディーからぶっ飛ばせば15時間未満で到着することも出来るようになりました。
フンザから北に行けば中華人民共和国、北西に行けばアフガニスタンがすぐそこ。
パキスタンと中国新疆ウイグル自治区を結ぶアジア横断ルートの途中にある上に、
標高2,500m付近の高地に位置し、7,000m級のパミール高原の雄大な山々の姿が迫る風光明媚な土地柄故、
アジアを旅するバックパッカーなどの外国人旅行者やトレッキング目的の旅行者も多く訪れます。
フンザへの詳しいアクセス方法はこちらの記事を参考にしてください。
フンザの四季
フンザは日本同様の四季があり、その季節折々の美しさを楽しむことができます。
春。
3月末〜4月上旬は、杏や桃、桜の花で谷全体がうす桃色に染まります。
山から雪解け水が流れ込み、フンザがゆっくり緑に覆われ始めるのが5〜6月。
ゆっくりと夏が始まります。
パンジャーブやシンドのような灼熱の暑さになることはなく、パキスタン人の国内旅行者もフンザへ避暑に訪れにきたりします。
7月・8月が観光のピークで、観光業に携わるフンザの人々は仕事に終われて大忙しに。
9月頃から朝晩の冷え込みが気になるようになり、
10月〜11月にかけては紅葉で、谷が、村が、見事な黄金色に変わります。
12月になれば季節はすっかり冬。
周囲の山々は頭に白く雪をかぶり、12月〜3月の間は村にも雪が降ることがあります。
春や冬は曇りの日が続きますが、
夏や秋は晴天の日が多く、1〜2週間の晴れの日のあと、2〜3日曇の日があり、雲が晴れればまたお天気が続く…と言うようなサイクルになっています。
降水量はパキスタンの他の地域に比べて少なめです。
風の谷のナウシカのモデル?
日本人旅行者の間では、フンザはスタジオジブリのアニメ映画「風の谷のナウシカ」の風の谷のモデルになった場所という噂が流れています。
今は廃刊になってしまった「旅行人」というバックパッカー雑誌があったのですが、
この旅行人編集部が出していた「旅行人ノート アジア横断」という旅行ガイドブックに、伝聞情報として取り上げられたのが噂の発信源のよう。
スタジオジブリから正式に発表されているわけではなく、作者の宮崎駿さんも「(風の谷のイメージは)中央アジアの乾燥地帯」と雑誌の対談で明言している程度。
関連書籍でもその旨が示されたことはなく、フンザが風の谷のモデルであるという根拠は不明です。
「旅行人ノート アジア横断」でも、2002年の改訂版からは記述が削除されています。
お土産屋さんにあった青いシャルワールカミーズを「ナウシカの服だ!」といって8,000円くらいで買っていきました(笑)
多分10倍くらいの値段です。
フンザ=風の谷の噂に関して、フンザと風の谷のナウシカの風景などをもう少し詳しく比較してみましたので、良かったらご確認下さい。
フンザの歴史
現在のフンザは、パキスタン・イスラム共和国の北西部にあるギルギット・バルティスタン州に属していますが、
1974年まではフンザ藩王国として、ミール(藩王)が支配していました。
1947年のパキスタン独立後、インドとの係争地であったフンザ王国は、住民のほとんどが ムスリムであることから、パキスタンへの帰属を選択しました。
当初パキスタン政府はイギリス統治時代同様、王政を認めて間接統治を続けていましたが、
1974年に王政が終結し、正式のパキスタンの一部となりました。
ただ、パキスタン政府のフンザへの感心は薄いのか、
現在もギルギット・バルティスタン州ではパキスタン国政への選挙権がない状態が続いています。
参政権がない代わりに、納税義務もありませんが。
「フンザ」とは弓矢という意味があり、旗にも弓矢が描かれています。
旅行者はフンザ藩王国の王都があったバルティット、現在のカリマバードに滞在することが多いです。
カリマバードには藩王国時代にミールの居城であったバルティットフォートが、
また隣村であるアルティットにはチベット人の建築家により設計・建築されたアルティットフォート、
同じく近隣の村のガニシュにはフンザ王国の仇敵であったナガル王国からの攻撃をいち早く察知するための3つの見張り塔や、シルクロードを旅する商人達が使っていたキャラバンサライ(商人宿)、
2002年にユネスコよりAsia Pacific Heritage Awardを受賞した木造のモスクなど
当時の歴史を知る重要な遺産がいくつか残っています。
イスラム教がこの地域に入ってきたのは15世紀になってから。
それまでは「ボヨ」と呼ばれる想像上の生き物を祭るような、自然崇拝が主立った宗教だったようです。
フンザの文化
フンザの言語 ブルシャスキー語
パキスタンの公用語はウルドゥー語ですが、フンザではブルシャスキー語(Burushaski)がメインの言語です。
英語教育が盛んなため、英語もウルドゥー語も通じます。
上フンザ・ゴジャール地域では ワヒー語(Wakhi)が話されています。
他にもシナー語やドマーキー語など、さらにごく一部の人のみが使用している言語もあります。
フンザの宗教 イスマイリ一派
フンザでは、シーア派のうちでもさらに少数派のイスマイリ一派(さらに細かくいうとイスマイリ一派の分派であるニザール派)が信仰されています。
イスマイリ一派の宗教的最高指導者である現在のイマーム、アガ・カーン4世は、パリ在住。奥さんは元女優さんです。
フンザの人々にとってはパキスタン大統領よりも重要な人物であるのがアガ・カーン。
フンザの人々が女性の教育や社会参加、英語教育に積極的なのも、全てアガ・カーンの方針によるものです。
パキスタンは現在でも就学率が40%未満と低めですが、フンザが男女とも90%以上の就学率を誇っているのもアガ・カーンの指導によるものと言えます。
政治家であり、実業家でもあるアガ・カーンは、パキスタン国内でも、
病院やホテル、学校の経営、道の整備、村落開発や観光開発など、様々な事業やボランティア活動を行っています。
イスマイリ一派はイスラムの他の宗派と比べて戒律も大分異なります。
イスマイリー派はモスクではなく、ジャマットカーナーと呼ばれる集会所で礼拝を行います。
モスクではないため、礼拝を呼び掛けるミナレットがなく、アザーンもありません。
お祈りは1日3回。しない人も多いです。
ラマダーン月に絶食をする人も少ないです。
イスラームの五行の一つであるザカート(喜捨)は収入の10%程度をアガ・カーン財団に納めるようにされていて、このザカートにより、イスマイリーの人々が多く住む貧しい地域などに援助がされる形になっています。
前述した通り、女性の教育や社会進出も推奨されていて、手に職を持って働く女性も増えています。
フンザの食
フンザは長寿の里とも言われており、その秘訣がその食事や水にあると言われています。
伝統的な食事は、麦やヒエ、粟などの穀類、葉物野菜、芋類、根菜類、豆類が中心。
それに少しの肉と、杏のオイルなどが使われます。
また、果物も豊富です。
全体的に薄味だったり、ちょっとクセのある味のものが多く、好き嫌いが結構ハッキリ別れる感じかと思います。
また、アルコール類の入手が困難なパキスタンにおいては珍しく、
フンザパーニーと呼ばれる果物の蒸留酒や、ワインもこっそり作られていたりします。
お酒好きの旅行者の間でも有名です。
ただ、もちろん密造は違法です。
最近とっても厳しくなり、密造ワインセラーが結構摘発されています。
以前よりも手に入りにくくなりました。
フンザの民族衣装や刺繍
基本的には、パキスタン全土で着用されているシャルワール・カミーズが民族衣装です。
若い男性に関して言えば、他の地域よりも洋服着用率が高いです。
女性はシャルワール・カミーズ着用率ほぼ100%。
男性・女性共に特徴的な帽子があり、
男性はフンザ帽と呼ばれるウールでできた丸い帽子を、
女性は色とりどりの刺繍の入った浅い円筒型の帽子をかぶります。
年配の方は普段からかぶっている方もいますが、若い人はお祭りごとの時くらいしかかぶりません。
フンザの刺繍は刺繍糸を束ねたまま、又は毛糸を使用して
日本でこぎん刺しを刺す時にも使われているコングレスと呼ばれる刺繍専用の布に一目一目糸を通していきます。
結婚式の時には、女性が持参品として、自分で刺繍したクッションやベッドカバーなどをたくさん持っていくのが伝統です。
刺繍製品は現在は観光客用にお土産用に開発された小物などを購入することができます。
フンザの伝統舞踊や音楽
フンザの踊りは、特に決まった決まりなどもないようですが
両手を上げてすり足でジワジワ動いたり、スキップのような軽快にはずむステップを踏んだりするのが基本ではあるようです。
おじいさん達の踊りなんかだと、袖の長いジャケットを着て両手を前に出して振るくらいの「これは踊りなの…?」的なものもあります。
音楽は小さなラッパやフルート、太鼓などを使い、ちょっとけたたましい感じです。
インドのラダックの音楽にも似ています。
この人達はかな〜り上手な人です。
通常みんなもっとバラバラです。
洋服までそこはかとなく揃えているあたり、こだわりを感じます。
実際にフンザに住んでみて フンザの生活
暮らしやすいとは言えない環境
私はフンザで結婚したあと、1年程そのままフンザに住んでいました。
詳しく書くとテンションが下がるので、サラッとだけ紹介しますが、やっぱりフンザは田舎です。
パキスタンの他の地域と比較してみても、けっして便利で住みやすい場所とは言えません。
停電は当たり前、水やガスが不足することもある。
今でこそ携帯電話が普及していますが、昔はインターネットもなかったし、
パキスタン国内に電話するのですらなかなか回線がつながらず、30分リダイヤルし続けないといけない…なんてこともありました。
今は携帯電話とインターネットがそれなりに普及していますが、
肝心の電力事情は少しも良くなっておらず、
むしろここ数年の気温の上昇の関係で水力発電所が壊れるなどの問題もあり、停電している時間は長くなってしまいました。
高地ゆえ、冬の冷え込みは厳しいけれど便利な暖房器具もないですし、
キッチンはかまどのみの家もまだあります。
日射しが強く、空気がとても乾燥しているので、お肌もカッサカサになります。
1年で3年分くらい老けます。
観光フィーバーと、変わる村
数年前からフンザではパキスタン国内旅行者や、中国・東南アジアからの旅行者がグンと増え、夏の観光シーズン中にはカリマバードのメインロードが大渋滞するような状態に…
これまであったホテルだけでは部屋が足りず、どんどんと新しいホテル・レストランの建設が始まっています。
観光客は日中は近隣の散策に出かけ、夕方以降にカリマバードに戻ってくるため、
カリマバードのお土産屋さんやレストランは夜遅くまでお店を開け、
観光客を誘い込むために、ギラギラネオンの看板を掲げているところもあります。
これまで以上に現金収入が容易になり、生活が潤う人が出てきたのは良いことだと思うのですが、
村の雰囲気はガラッと変わってしまったし、電飾のせいで見える星も減りました。
地元の人も旅行者もみんなスマホを持っていて、レストランやホテルでもインターネットwifiを用意しているところが多いため、目の前にとっても綺麗な景色が広がっているのに、みんな黙って自分のスマホをいじっています。
これがいいのか悪いのかは、
フンザの住んでいるフンザの人々が判断することですが、
私個人の感想としては「多少便利にはなったけれど、みんな仕事ばっかりになって、前より生活が忙しくなったな」と感じています。
フンザを訪れる外国人旅行者の中には「観光化されていない桃源郷」「パキスタンの秘境」を期待して訪れる方もたくさんいるのですが、
カリマバードに関していえば、今はちょっと、そういう雰囲気は失われてしまったと思います。
以下の記事でもちょこっとフンザでの生活に触れてますので、興味のある方はどうぞ。
次に住むなら、もう少しだけ環境整えたいです。
フンザの魅力
ここまでザックリフンザの紹介をしてきましたが、
私がなんでフンザが好きなのか、と言うと、仲のいい友達がたくさんいるからです。
私にとってのフンザの一番の魅力は友達がいることですが、
観光旅行に訪れた方におススメしたいポイントはこんな感じ。
- トレッキングしなくても目前まで迫る山
- とくになんにもせず、景色を見ながらのんびり過ごす時間
- 満点の星
- そこら辺にいる人との何気ないおしゃべり
- 季節によって食べられるものが変わるおいしい果物
特に山の姿は圧巻。
私はインドでもネパールでもプチトレッキングなどをしてヒマラヤを見ましたが、
プチトレッキング程度では山はすごく遠くにしか見えないんですよね。
それがフンザでは、バスでここにたどりつきさえすれば、トレッキングしなくても、手を伸ばしたら掴めるくらいすぐそこに7,000m級の山がある。
「山って綺麗なんだ」って感動したのは、フンザが初めてでした。
正直、何か特別なものがあるような場所ではないですが、
「なんにもないこと」「なんにもない中でのんびりすること」
これを楽しめる方ならば、フンザを気に入っていただけるのではないかと思います。
フンザの中心地・カリマバードの地図も作成していますので、お気に入りのホテルやレストランを見つけてフンザにゆっくりのんびり滞在するために、よろしければお役立て下さい!
印刷した地図も、カリマバードのお土産屋さんなどで配布しています。
フンザが気になると言う方、機会を作って是非是非足を運んでみてください。
現地でやることなんてさほど変わらないので、
ツアーだろうが個人旅行だろうがバックパック旅行だろうが
どんなスタイルで行っても、十分楽しめますよ。
ご自身のお時間、お金の都合などに合わせて、最適なプランでフンザを満喫してください。
フンザ周辺の観光スポットについてや、
フンザへの旅行の仕方に関しては、こちらの記事も参考にしてくださいね。
パキスタン旅行のときの服装や、持ち物に関してはこちらを参考に〜。
みなさんがそれぞれ、素敵なフンザ滞在を楽しめますように!
お読みいただきありがとうございました!
コメント欄はちょっと下にあります。承認式ですが、コメントはお気軽にどうぞ。
パキスタン、フンザ旅行に関する情報記事の一覧はこちらから!
治安、旅行ガイド、両替やATM、フンザへの行き方など、ブログ内のパキスタン旅行や滞在に関する必要情報・便利情報をまとめた目次(サイトマップ)です。
デザイナーとライターをしています。お仕事のご依頼やご相談もお気軽に。
フンザの旗はなんかほのぼのするな~。フンザに弓矢の意味があるなんて初めて知ったよ。勉強になりました。(笑)フンザの写真はなーんかリラックスできるんだよね。たのしかった。 じゃね
ひろさん
「フンザ」って意味は、もう少し細かい由来があるそうなんだけど
(弓をひいて矢が落ちた場所がジャパンチョークの辺りだとかなんとか)、忘れてしまった…
ヒロさんもまたフンザ行こうね。
フンザ藩王国の国旗はこの旗ではなく、wikipediaに私が差し替えた画像の物であるとバルチットフォート専属の日本語ガイドの方が申しておりました。 ついでに黒い山に緑の空の画像の旗(上記の旗)は何なのかを聞いたところ、「政治上の旗」との事です。国旗では無いとのことです。
しょうたろうさん
お写真はバルティットフォート内に飾られている旗ですね。
確か1974年前までの王国時代のものだったのではないかと。
ただ、私自身は大分昔にツアーで来られていた日本語ガイドさんに「フンザの旗」としてこちらを教えてもらっていて
元王族一族のガザンファル氏の現在の邸宅入り口にもこのマークがついてます。
どちらにせよ、弓矢の絵がついてますね!