こんにちは、スズケーです。
今回フンザに滞在してる間に
日本人を含む外国人とお付き合いしていたと言うフンザの男性何人かに会ったり、話を聞いたりしました。
そこでちょっと気になったのが、異宗派・異教徒間のお付き合いや結婚についての考え方。
何のかんの言って、フンザも含めて、パキスタンはまだまだ閉鎖的…というか、
「自分たちの身内の文化や宗教、価値観のみ」を大事にする文化が根強いなぁ、と。
自分たちの文化や宗教、価値観を大事にするのはいいことだし大切だけれど、
他のものを排除したり、他のものとは交われないとはじめから決めつけるのは、もったいなくないですか?と思うわけです。
違うものを知るのって、楽しいよ。
ムスリムと宗教多元主義者の夫婦
以前も書いたことがありますが、
うちは旦那はイスラム教イスマイリー派のパキスタン人、
私は生活の中で信仰に重きをおいてはいませんが、しいて言うならばシンクレティズム、宗教多元主義者です。
つまり、異教徒間結婚です。
私自身は、日本人が「神様」と呼ぶ、何らかの存在や力はあるのだろうとは思うけれど、
それをどういう名で呼ぼうと構わないし、
その力のひとつひとつに名前をつけて別個の神として崇拝しても構わないと思っています。
人間それぞれにとって、必要な形・ベストな形は違うでしょうから。
詳細はこちらで確認をしていただければと。
私がムスリムではないということで、
イスラーム的にはよろしくないんでしょうけど、自分の意に反して特定の宗教に属するつもりはありません。
旦那の地元のフンザの人は、旦那の家族含めて別に何も言いません。
イスラームに入信してムスリムと結婚した日本人女性など、他の方に何か言われることはありますが、赤の他人に何を言われようが別に関係ないので気になりません。
そういうのはどうぞ聞こえないように、噂好きな者同士、陰でコソコソ言ってください。
シャハーダ(信仰告白)はしていませんが、イスラーム式の結婚契約・二カーはしています。
私がムスリムでもユダヤでもクリスチャンでもないということで、
「そんなのおかしい、二カーができるはずがない」「その二カーは無効である」と熱く語る人もいますが、
私は二カーをしてくれと懇願もしてないし、どうしてもやれと強制したわけでもない。
おかしいと思うならば、私ではなく、私がムスリムでないのを知った上で二カーを執り行ったカリパに聞いてみるべきでしょう。
「宗教が違うこと」は、それだけで問題なのか
「宗教が違うこと」を理由に、そもそも相手を受け入れなかったり、
それが理由でうまくいかないのだと決めつけたりする事例。
私がフンザにいることが多いので、どうしてもフンザで聞いた話が多くなりますが…
- フンザのイスマイリーの女性が、学生時代にラホールの大学で知り合ったギルギットのシーア派の男性と結婚。
双方の両親は結婚を祝福し受け入れたものの、女性側の親戚は他の宗派の男性との結婚を認めず、結婚式に参列しなかった。 - フンザのイスマイリーの女性が、イスラマバードで働いていた時に知り合った同僚男性との結婚を望んでいるが、相手がスンニ派の男性というだけで父親は話も聞こうとしない。
- フンザのシーア派男性と付き合っていた、スンニ派に入信したばかりの外国人女性。
短期間付き合っていただけで結局別れてしまったが、周囲は「スンニ派とシーア派でうまくいくはずがない」と、分かれた原因を宗派の違いだと断定(男性自身はなぜ嫌われたのかよくわからないと言っていた)。
人間って、何に対しても100%全く同じ考え方・同じ行動をとれる人と出会えることって、ほとんどないと思うんですよ。
人間は一人一人違っていて当たり前だと思う。
一般的には、そういう違いを踏まえて、認めあった上で居心地のいい相手と
友達になったり、結婚したりするのだと思うのだけれど、
「宗教が違う」だと、なんでそれだけでこんなにも否定的になることが多いのか。
「スンニ派とシーア派でうまくいくはずがない」と言った人にいたっては、私がムスリムではないことを知っていますが、私と旦那のことを「ナイスカップル」と言います。
彼の中ではスンニ派とシーア派はうまくいかないけれど、イスマイリーと特定の宗教を持たない外国人ならうまくいくのか。
それとも口ではナイスカップルと言いつつ、うまくいくはずがないと思っているのか。
結局みんな「自分と違うもの」を受け入れたり認めたりするのが怖かったりするのかもしれません。
自分のそれまでの価値観やそれまでしてきた努力や行為が覆されてしまいそうで。
自分が自分の芯をしっかり持っていれば、そんなことないのにね。
宗教は、人に、生活に、深く関わっているから
「宗教は生活に深く関わっているから」
「宗教はその人の価値観の基準だから」
だから夫婦の間で宗教が異なると問題が起きると言う人もいますが、
それを言ったら、宗教が同じでも国籍が違えば生活習慣や考え方、価値観が違うことは多いし、同国人同士でも住む地域が違うだけで全く文化が違うなんてこともあります。
宗教とは関係のない「生活の中での価値観の違い」はいっぱいあります。
そういう住む場所などの違いで「文化が違うから…」と関係がうまくいかないことを心配する人ももちろんいますが、「宗教が違う」というと、特に目くじら立てる人は多い気がします。
やっぱり少なからず生死に関係するようなことになると、
違うもの・知らないものに関して無意識のうちに何らかの畏れとかを感じて受け入れられなかったりするんでしょうか。
ここら辺に関して「宗教が違う事は問題である」という意見の友人らと、そこまでしっかり討論したことがないのですが、
そのうちじっくり意見交換してみたいテーマの一つです。
そんなに大変?異宗派・異教徒間の結婚
さて、実際に異宗教間で結婚している我が家ですが。
旦那と私の間で、宗教の違いによる問題・異教徒間結婚故の困難というのは、今のところ一度もありません。
旦那が穏やかな人だから、というのも大きいかもしれませんけど…
私はイスラームを旦那のパーソナリティの一つとして尊重するようにしているし、
旦那は日本の礼儀や作法について尊重してくれています。
イスラームが旦那にとって大事なものであるならば、旦那の大事なものは私も大事にしたいと思うし、旦那が心から不快に思うことはしたくない。
でもだからといって、私は旦那自身になりたいわけではないのでムスリムにならないといけないとは思わない。
そういうこと。
多分旦那も同じように思ってくれている。
私としては、大事なのはその部分で、宗教が同じであることは必ず必要とは思わないし、
お互いがお互いを大事にしあえれば、異宗教間の結婚が難しいとも思いません。
たまたま見つけた記事でこんなのがありました。
ここまで極端ではないですが(笑)、うちもこのご夫婦と似たような感じです。
うちは、というか、私自身はどうするかまだ決まっていませんが…
旦那はパキスタン・フンザで土葬されることを希望していますが、私自身は特にこうしたいという要望もなく、どうしようかなぁと思っています。
ぶっちゃけなんでもいいので、旦那の希望に合わせればいいかなぁと。
うちはうち、よそはよそ
ただ1つ言っておきたいのは、
これはあくまでも我が家のケース、私達の夫婦関係だということ。
「うちは異宗教間の結婚でも何も問題ないし、うまくいっているよ」
って書くと、自分もそうできるはず!と、
相手の方に自分の希望=「私は改宗しない。同じ宗教じゃなくてもうまくいくはず!」を一方的にゴリ押しする人も出てきちゃうんですが、
それ、自分と同じ宗教に改宗しろと宗教を押し付ける人と、やってること同じですよ。
うちはあくまでも、私と旦那の相手に求めるもの、相手に対するスタンスが同じだったから、異宗教間結婚でも問題なく過ごせています。
でも、相手の方の結婚の絶対条件が「同じ宗教であること」であるならば、そもそもその価値観を変えるのって難しいと思います。
じゃあどうするのか?
こちらの記事で詳しく書いていますが、宗教が同じだろうが異なろうが、
どんなことでも本人同士で徹底的に話し合って、お互いの意見を理解・尊重しあうのが一番大事。
それができない相手なら、多分宗教云々別として、そもそもうまくいかないです。
お互いのことを理解しあって、そのカップルや夫婦だけの、より良い関係を作っていきたいものですね。
カップルではないですが、ムスリムと非ムスリムがうまく関係を構築していく様子を描いたマンガが「サトコとナダ」。
国籍が違っても、宗教が違っても、お互いを思いあっていけば、
大切な唯一無二の存在になることはできるよって言うのがよくわかると思います。
さくっと読めるマンガですので、ぜひぜひご一読を。
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マアッサラーム
ビザのことを調べていて、たどり着き、面白くて読んでいましたが…宗教が違う…というか、そもそも、イスラームのきまりに則り、ニカーをするので、イスマイリィー派(初めて聞きました)のきまりに反さないのならば、ニカーは成立しているのかもしれませんね。
私は、スンニ派の旦那と結婚して19年が経ちますが、入信して、ニカーをしました。
アルハムドゥリッラー!
アッラーフタアラーのお導きにより、山あり谷ありながらも今日までやって来られました。
どうか、世界中の人々にアッラーフタアラーのお導きがありますようにぃ〜
ゴマゴマ子さん
二カーが成立しているから二カーナマがあるわけです。
ただ、私自身には、二カーが成立していようがいまいが、
法律的に婚姻が整理していれば生活に支障がないので、二カーはさほど重要ではありません。
コートマリッジでも十分です。
はじめまして、お話がとても興味深く、また共感できる内容なので楽しく読ませていただいています。
うちもパキスタン人と結婚しています。かれこれ22年です。
パシュトゥン人です。また彼らの持つ慣習や文化は独特ですね。日本長く住んでいても切っては切れない(切ってほしいのに)こともあり。。
私も改宗せずに結婚をしました。
が、4,5年前に改宗してほしいと言われ、1年ほどはぐらかしてきましたが、最終的に改宗しました。二人の子供がいるのですが、家族のためです。
でも、無理なんです。信じてないんですもん。意味がないんです。
いろいろあり、先日、やめました。入信の時はわざわざモスクに行ってちょっとした儀式みたいのをしましたが、やめるのは宣言するだけでいいと。(ホントか?)
まあ、いろいろあったので、旦那も快く承諾し晴れて、本当の私に戻った感じです。
旦那に訊いたんです。この異宗教間の結婚を本当はどう思っているのか?って、そしたら、宗教は関係ないって。
人間としての本当の気持ちはそれなんですよね。なのに、そう言われているから、そう書かれているからって。
結婚観については私もたくさんの意見がありますが、これくらいで今回やめておきます。
またまた記事を楽しみにしています。
さらさん
こんにちは。
え、棄教されたんですか?
イスラム法上ですと棄教した者は死刑とされているので、
「一度入信したが棄教した」とかはあんまりおおっぴらに言わない方がよろしいかもしれません。
「入信していない」よりも「棄教した」の方が、良く思わない人が多いのではないかと…
パキスタンは渋めのヒゲメンズが多いですが、
中でもパシュトゥンの方は私をときめかせる渋い風貌の方が多いのと(オッサンであればある程いい)、
彼らの住んでる辺りのご飯が激ウマなので、
パシュトゥンの方々の住んでる辺りを旅行するの大好きです。
スズケーさん、
お返事ありがとうございます。
そうですね、イスラム法上は棄教は死刑とされていますね。
もちろん、誰にも言わないです。家族のみが知ってます。
結局、お祈りの言葉を覚える程度しかしていなかったので、ヒジャーブを被るわけでもなく。。自分の気持ちだけの問題が一番大きいです。
パシュトゥンの料理は私も大好きですよ。でも彼らのもつ慣習やらでいろいろ振り回されているので、パシュトゥン人は旦那とあとは常識、教育がある人以外とは接触したくないです。
さらさん
こんにちは。
常識、教育がある人以外とは接触したくないというお気持ち、わかるんですが、
私の場合、
嫌と思ったらそもそもその人とは会わないし、
どっちかっていうと私自身も人を振り回す側の方なので、
こう思ってる周囲の人もいるんだろうなぁと耳が痛いっすね!
スズケーさん、
私が言った慣習やらで振り回されているのと、スズケーさんが人を振り回しているは全く違う物だと思いますよ。
スズケーさん、とても個性的で、スバスバと思ったことをストレートに書いてるし、振り回されている側はスズケーさん
に振り回されて楽しんでいると思いますよ。
これからも楽しく読ませていただきます。
さらさん
いえ…
どこでも「私の考え・私のスタイル」でいるし、お客さんの前でも何を言いだすかわからないため、
例えば実際、昔務めていた職場の上司の方などは私の扱いに困っておられました。
私のせいで困ってるのはわかるんですが、でも自分のスタイルを変える気はないのでどうしようもできず。
私が今、お勤めをしないでひとりで仕事をしているのも、
どこかに所属して働くと周りに迷惑かけるし、意味わかんないこと多くて自分もストレスがあるなと思ったからです。
多分私がインドやパキスタンにいて楽なのは、
「あ、周りを気にせず好き勝手やっていいのね、みんなそうだし!」
って思えるからだと思います。