こんにちは、スズケーです。
パキスタンは法律で5~16歳(小学校~初級高等学校)の子供に対し義務教育を施さなければならないことが定められています。
ただ、教育に対する国民の認識が低いこと、貧しい家庭では子供も一人の稼ぎ手として考えられていることなどから、学校に通っていない子供も大勢います。
就学率は2003年には40%以下を切っていましたが、それから徐々に向上し、
現在は80%程度だと発表されています。
男女比で言えば、女児の就学率の方が低めです。
パキスタンの教育システム
パキスタンの教育システムは、基本的に6段階に分かれています。
- 就学前教育(2歳半~4歳)
- 小学校(1~5学年)
- 中学校(6~8学年)
- 初級高等学校(9~10学年)
- 上級高等学校(11~12学年)
- 大学(短大、総合大学)
このうちの小学校〜初級高校までが義務教育となります。
いずれも、入学や進級にはテストに合格する必要あります。
私立学校の中には、独自の過程を設けている学校もあります。
マドラサと呼ばれるイスラーム学校もあります。
他の学校よりもイスラーム、クルアーンの勉強の時間を多くとっていますが、最近では一般の学校と同じ過程の授業も行われています。
学費は公立高校は基本的に無料のところがほとんど。
私立の学校は、1ヶ月の授業料が数百Rs程度のところもあれば、高いところでは何万Rsと、学校によって大きく差があります。
フンザの教育
パキスタン国内の他の地域に比べて、圧倒的に高い就学率を誇るのがフンザ。
現在の就学率は100%に近いと言ってもいいかと思います。
フンザの人々が教育に積極的なのは、
フンザに住む人々の大多数を占める、イスラム教イスマイリー派の指導者、アガ・カーンが教育の普及、英語教育の重要性を説いているためで、
アガ・カーン財団グループの一つ、アガ・カーン エデュケーションサービスにより、数多くの学校も設立されています。
私立学校ではありますが、公立学校と変わらぬくらい授業料も低めで、高等教育への進学を望む者への奨学金のシステムなども用意されています。
また、アガ・カーンは女子教育の重要性・必要性についても説いており、フンザに関して言えば、男女の就学率にはほとんど差がありません。
ただ、ここまでの高い就学率を誇るようになったのはここ十数年程のようで、
20代後半以上の人の中には、学校に通っていなかった人も割といます。
20代後半以上の女性の中には学校に通っておらず、ウルドゥー語も全く話せない人もいます。
フンザやアガ・カーンについては、こちらの記事も参考に。
日本人が建てたフンザの学校 ハセガワスクール
実はフンザには、日本人が設立した学校もあります。
その名もハセガワ・メモリアル・パブリック・スクール。
1999年に設立された、フンザの中心地、カリマバードにある学校です。
就学前教育から初級高等学校まで、4〜18歳の生徒達がこの学校に通い、学んでいます。
男女共学、英語での授業、早い段階からのコンピュータ授業の導入など、パキスタン山間
部の学校としては非常に恵まれた教育環境を誇り、
人々はみんな口を揃えて「フンザで一番の学校だ!」と言います。
(その分学費もお高めですが…)
この学校は、フンザの古城・バルティットフォートの背後にそびえる標高7388mのウルタルII峰という山に登山中、雪崩に巻き込まれ死亡した登山家・長谷川恒男さんの遺言により建てられました。
長谷川恒男さん
長谷川恒男さんは日本を代表する登山家の一人。
マッターホルン、アイガー、グランドジョラスの、三大北壁冬期単独登攀などを世界で初めて成功させ、その名を轟かせました。
グランドジョラスの登攀は「北壁に舞う」というタイトルで、本や映画にもなっているので、それで長谷川恒男さんをご存知の方もいるかもしれません。
1991年にウルタルII峰を登山中、5350m地点で雪崩に巻き込まれ、隊員の星野清隆さんと共に遭難死しました。享年43歳。
二人の遺体はウルタルのベースキャンプ近くに埋葬され、お墓も残っています。
「もし自分の身に何かあった時は、土地の人を幸せにする何かをしてほしい」
これが長谷川恒男さんが、奥さんの長谷川昌美さんに残した遺言。
長谷川昌美さんは、この村に一番必要な者は何かを地元の人々と話し合い、NPOカリマバード福祉協会を発足。
最初のプロジェクトとしてハセガワ・メモリアル・パブリック・スクールの建設と運営が始まりました。
ハセガワスクールの見学
ハセガワ・メモリアル・パブリック・スクールは、希望すれば見学をさせてもらえます。
ツアー旅行の場合、ハセガワスクール見学が最初から組み込まれていることもありますし、個人旅行者でも気軽に訪れることができます。
日本人が行くとわざわざ授業を中断させて子供達に歌を歌わせたりしてくれることも多く、授業の邪魔をすることになるのがイヤなので。
教育水準が高いだけでなく、道徳やマナー的なものに関してもとっても厳しい学校で、ハセガワスクールに通っている子供達はパキスタンの子供にしては、びっくりするほどおりこうさんな子供が多いです。
ただどこもそうですが、やっぱり学校運営は資金面などで大変なことも多いようで…
学校内にドネーションボクスも設置されていますので、見学をした方は、ぜひ募金をして行ってあげてください。
2019年のパキスタン滞在時、ちょっと用事があってハセガワスクールを訪れ、ついでに授業の見学…もとい、お邪魔をしてきました。
授業中断させてゴメンね。
パスーにもある、日本人が作った学校 ミネコスクール
フンザで日本人が作った学校と言うと、どうしてもハセガワスクールばかりが注目されがちですが、実はもう一つ、日本人が作った学校があります。
フンザより北に行ったゴジャール(上フンザ)のパスーという村にある、ミネコスクール。
錦織峰子さんという日本人女性によって建てられた、2008年にできた学校です。
こちらの学校では日本語教育も行われているとか。
その他にも、一般科目だけでなく、料理や農業に関することなどの実用的なことも教育として取り入れているそうです。
1980年代後半から20年余り、ご主人と一緒に中東・アラブ諸国を訪ねて周っていたという錦織峰子さん。
その中で、戦争をなくし平和を考えるためには子どもたちに対する教育が大切だと考えるようになり、また、学校に行きたくても行けない子どもたちを支援したいと思うようになったそう。
ご主人の仕事の関係で訪れたパキスタンに学校を建てようと決意し、
日本画のチャリティー個展を開催してご自身の描いた作品を売ったり、ファンドレイジングを行って1000名以上の方から寄付を募って資金を貯め、学校建設を始めました。
残念ながら学校が完成して3年後、亡くなられてしまったそうですが…
私達も小さなサポートを
フンザはアガ・カーン財団グループが
病院やホテル、学校の経営、道の整備、村落開発や観光開発を行っており、そういった活動に関するサポートも充実していますし、
フンザの人々も外部からのサポートを歓迎しているため、
パキスタンの他の地域に比べ、外国人や海外NGOの活動も非常にしやすいエリアといえます。
また、仕事や旅行などで訪れて思い入れをもつ方も多く、
そのためこうやって、海外からの援助も集まりやすくなっています。
でもやっぱり、学校のように、一時的ではなく継続的に続けて行く必要がある支援というのは、やはり非常に大変なことで、
それをこうやって続けておられるハセガワスクール、ミネコスクールの関係者・支援者の方々には本当に頭が下がります。
いずれの学校も、常時寄付の受付はしていますが、
寄付はお金だけでなく、例えば学用品やスポーツ用品などでも大歓迎のはずです。
フンザで日本人の作った学校を見てみたい、見学に行く予定だという方は、
ぜひぜひ何か少しでも、学校のためになることを考えて、実行してみてほしいと思います。
海外からの支援が入っているこれらの学校は非常に恵まれています。
アリアバードには、数年前にフンザであった地震(死者が出るなどの被害はありませんでした)のせいで校舎の一部がくずれ、
予算の関係で改修をすることができず、今も屋外で授業をしている公立学校などもあります。
もしよろしければ「日本人が作った学校」だけでなく、フンザの、そしてパキスタンの他の地域の一般の学校にもぜひ、目を向けてみてください。
どんな学校も、支援の申し出や寄付などは大歓迎だと思いますよ。
お読みいただきありがとうございました!
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デザイナーとライターをしています。お仕事のご依頼やご相談もお気軽に。
自分がなくなる前に学校を作る、ミネコスクールカッコいい。そういう事ができるといいな。
ひろさん
ぜひどっかにヒロスクールつくって…!
こんばんは。
フンザ情報が読めて嬉しいです。
義理の姉のところの運転手さんが、フンザ出身の方でした。今は義姉一家もドバイ住まいみたいなので、今はもう運転手さんとして雇ってないかもですが。
私も一応イスマイリーですし(一回洗礼?しました)、アガ・カーン4世情報は「へえー」です。まあ、旦那からも色々聞きますが。
私はもうパキスタンに行く事もないかなあ、と思うのですが(2回行きましたカラチ)、スズケーさんのブログを読んで、「お金持ちになってフンザを訪れる」事を妄想してみようかなぁ、と思います。
(=´∀`)/
しずこ Mさん
パキスタンでリッチな旅行を楽しむと言うのも、それはそれで楽しいと思うので是非どうぞ。
最近はラワルピンディーやカラチの空港からスカルドゥへ向かい、
上空からK2などの展望を楽しむ日帰りマウンテンフライトなどもやっていますよ。
ちなみに、イスマイール派は他のイスラームと異なり、一般的なシャハーダのみでの入信を認めていません。
タリカ・ボードと呼ばれる評議会に「なぜイスマイリーになりたいか?」と言うレポートや各種書類を提出した後、
イスラムやイスマイリーについての教育を受け、奉仕活動に参加して…というのを半年〜1年以上続け、
それが認められるとようやくイスマイリーとして登録されると、フンザのタリカ・ボードで聞きました。
もんのすごく時間がかかると。
もし、そういった書類提出や長期間にわたるお勉強などの期間を経ておられず、シャハーダ(信仰告白)しただけであるならば、
おそらく普通に「イスラムの入信をした」のみの状態ではないでしょうか?