こんにちは、スズケーです。
お正月のヒマな間に、ボーッといくつか
パキスタン人と結婚されている方や、パキスタン人の彼がいると言う方のブログを見ていました。
自分がブログを始めてからのここ最近のはチラホラ拝見したりしていましたが、
それ以前のはほぼ目を通したことがなかったので。
で、全体的にざーっと拝見してみて思ったのが
悩みや問題を告白するような内容ほどコメントがやたらつく
ということ。
それも、ポエムチックに自分の心情のみを述べているものではなく、
「こういうことがあって困っている・理不尽を感じている」と言うような具体的なものであればあるほど、たくさんコメントがつく傾向にあるようです。
人の悩みや不幸には口出ししたいもんなんだね、人間って。
コメントはしない
私は基本的に人のブログやSNSにコメントはしません(友達のブログとかSNSは別ですが)。
大体の場合の恋愛・結婚ブログって
みんな質問して回答を得たくて書いているわけではないと思うし
(記事によっては読んでいる方に質問を投げかけているものもありますが)、
相手のこと、相手の状況をハッキリ知っているわけではない状態で
なにか的外れなことを言うのが嫌だからです。
あとは、他の人が管理している場所に自分がズカズカ出て行って
あれやこれやと言うことになるのも嫌。
きっとみんなどっちかって言うと、アドバイスが欲しいと言うより
「共感を得たい」「同じ立場の人同士で話や情報を共有しあいたい」
という気持が強くてブログを書いているのだろうなと思っています。
前にも書いたけれど、私はそういう「共感・仲間意識」を求めがちな女性っぽい考え方があんまりないので、
多分相手の方が求めるようなやりとりもできないだだろうなぁと重々承知しているゆえ、
私が自分から、人のブログにコメントすることはありません。
そこら辺に関してはこちらで。
自分が何か言われるのは全然構わないんですけどね。
人の場所で、その人を不快にさせるかもしれないのが嫌です。
誰だって、自分をさらけ出してくつろげるはずの自分の家や部屋の中で、他人にズカズカ入ってこられてあれこれ言われるの気分よくないよね。
世代による結婚観・価値観の違い
ちょっと面白いなと思ったのが、
ジェネレーションギャップと言うか、結婚観・価値観の違いと言うか。
今現在パキスタン人とのお付き合い真っ最中という方のブログへ、パキスタン人と結婚してずいぶん長い事経ってる方からの
「うまくやりたいなら旦那を立てろ、パキスタンの文化を覚えろ、パキスタンの文化に従え」的なコメントがわりと見受けられること。
私は若くはないですが、その私ですら
「いやー、男にだけ一方的に合わせろってナンセンスすぎるわ」
って思います。
男女の平等がやたら騒がれる今の日本。
国際結婚だけでなく、日本人同士の結婚でも
「妻は黙って夫に従え」とか言ってたら、古すぎて嫁の来手がなくなるでしょ。
- 相手の望むままムスリムに入信し、実践しろ
- 結婚後は旦那に従え
- パキスタンの料理を覚えろ
- パキスタン人の女と同じだけのスキルを身につけろ
- 子育ては完全にイスラムに合わせろ
これ、昔の日本でも普通にあったことだと思いますが、
今の若い人にこんなん言ったらドン引きされます。
あと、そもそもそんなに何でもかんでもパキスタン式がいいなら最初からパキスタンの女と結婚しろよと思う。
男と女、そもそも体の構造や体力なんかも違うので「平等」は無理だと思いますが
「公平」であるべきとは思います。
結婚したら一方的に全てパキスタンやイスラームに合わせろと言うのは、全くもって公平じゃないよね。
少なくとも私は無理です。
日本人女性側だけが一方的にパキスタン人男性に合わせないといけないと言う、
その理由も必要性も私にはわからない。
相手のパキスタン人男性もこっちを好きなんでしょ?だったらなんで男性側は日本人女性に合わせる努力をしないの?しなくていいの?
しかもこういうのを言っているのが当のパキスタン人男性ではなく、
「パキスタン人と結婚した日本人女性」だというのが何とも。
確かにね、一方が全て我慢して、相手の言うままに合わせてあげるというのも
結婚生活を円滑にするための一つの手段ではあるかもしれないけれど、
そもそもそれ、今の日本の結婚スタイルや、若い人の考え方とは多分全くマッチしない。
もう一般的ではないものになっていると思います。
それなのにその旧世代の考え方を今の人にしたり顔で語っても
見当違いもいいところなんじゃなかろうか。
それともあれかな、仕事とかと同じ。
自分がしてきた苦労を若い人もして当然、と思っていて
今はもっと効率的で便利な方法があったとしても
無意識のうちに、同じ苦労を経験させようとしてるのかもしれません。
でも、必要ない苦労なら、しなくてよくない?
そういう人って、私みたいな人んとこにはコメントしないよねw
自分の頭で考える力
私は、インドやパキスタンみたいなイレギュラーなことや理不尽なことがどんどん起きる国では、
自分で考えて、判断して、実践する力があるのが一番重要と思っています。
しかもできれば、それを短時間で臨機応変に。
私はインドやパキスタンを一人で旅行している間にそういうスキル、ずいぶん上がったと思うし、
なんならパキスタンで旦那と一緒にいる時に問題が起きても
「私がなんとかするのでちょっと黙ってて」
ってなる方です。
ブログやSNSで人からのアドバイスを受けるのって
すごく便利ではあると思うのですが、
なんとなく「自分の頭で考える機会」が減っちゃうような気もするのですよね。
ちなみに私はオンラインでもオフラインでも人には相談しない。
自分のことは自分で考えて自分で決めます。
人の意見を聞くと「自分自身はどうしたいのか、どう考えているのか」が曖昧になる気がして、人に何か話す場合も、自分の答えや方向性を決めてからしか話しません。
私は、自分自身がそういうタイプだからこちらから積極的にコメントやら声かけをしないというのもあります。
黙って見守るのもひとつの在り方
大変なことや不幸の中から脱出しようと努力する姿は、人々の共感を得やすいものの一つです。
だから、映画でも小説でもそういうお話はいっぱいある。
ブログも同じで、不安や悩みを素直にわかりやすく告白しているものは、
共感や、アドバイスしたいなぁって気持を生みやすいんでしょうね。
そこで人のことだからと「ふーん」くらいにしか思わない私が
多分珍しいんだと思います。
ただ前述した通り「なんかこのアドバイスから回ってるんじゃない?」みたいに感じるコメントがチラホラあるのも事実。
そのブログの持ち主が、実際どう思ってるかはわかりませんが、
突然話が全く違う価値観で大事に飛躍しすぎてて少々返事に困ってるっぽいよね…みたいに見えるものもありました。
仕事の例とかでもそうですが、「昔はこうだった、自分はこうだった」って話されても、
時代や環境が変われば全く役に立たないことって多いですよね。
結婚に対する考え方だってその一つだと思う。
素性もわからない知らない人からこうしなさいああしなさいって言われるのって正直鬱陶しいし、
自分の時と今の若い人は違うってことがわからないなら、
あれこれ言わず黙って見守るのも先輩の在り方ではないかなと思ったりします。
手助けするのは、相手から手を伸ばされてからでも十分では。
人の悩みや不幸には口出ししたくなるのが人間ですが、
求められるまで黙っているのも一つの賢さではないか、とね。
「わたしは見る。そして語らない」
イングランドの絶対王政全盛期を担った女王・エリザベス1世の言葉ですが、
他人に対しては、私のスタンスもこれです。
お読みいただきありがとうございました!
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