こんにちは、スズケーです。
日本人のムスリムとかクリスチャンとかユダヤのみなさんは
人間って、どうやって今の形になったと考えているんでしょうか?
今の日本人は、猿から人間になったって言う、
ダーウィンの進化論を支持している場合が多いのではないかと思います。
でもクルアーンや聖書だと創造論。
宇宙も地球も地球上の生き物も、もちろん人間も、創造主=神によって造られたと書かれています。
とはいえみんな、進化論知ってるでしょ?進化論のが正しいって思ってるんでしょ…?
って私は思っていたんですけど。
そもそも進化論を知らない人がいました。
うちの旦那です。
創造論を信じる人
現在我が家にはテレビがないんですが、昔々はありました。
私も元々テレビを見ないし、旦那も日本のテレビを見ないので、テレビをつけることはほとんどなかったんですが、
1〜2ヶ月に1回くらい、唯一見るのが「志村動物園」でした。
そこに出てくる頭のいいチンパンジー・パン君が旦那は大好きで、
パン君の企画を見ては「ほんとにすごいよ!あたまいいよ!」と大喜びしていました。
それを見ながら何の気なく言ったことがきっかけで、衝撃を受けました。
うん?
なんか私、ウルドゥー語聞き間違えたかな?
…マジか!!!!!
聖書は読んだことあったし、もちろん創造論のことも知っていました。
私はすでに進化論を知っていたから「宗教だとそんな風に考えるんだ」で終わってしまっていた。
でも、まさかまさか、21世紀に、進化論を知らず、創造論を本気で信じている人がいるとは…!!!
しかもそれが自分の旦那とは…!
あまりことに衝撃を受けつつも、
進化論を知らなければ、創造論をこんなに素直に受け入れられるものなのかぁ…
と妙に感動しました。
進化論と創造論
進化論は、チャールズ・ダーウィンが、1859年に出版した「種の起源」で発表した学説です(実際には、ダーウィンより先に進化論を唱えている学者はたくさんいました)。
動植物は造物主によって現在の形のまま創造されたのではなく、
単純な原始形態から次第に変化発達してきたものであるという考え方のことです。
ダーウィンは「種の起源」でこのように述べています。
個々の生物種は創造主によって個別に創造されたという創造説の見解は、大半のナチュラリストが受け入れ、私自身もかつては受け入れていたが、明らかに誤っているという結論である。種は不変ではない。同じ種の変種とされているものは、その種の子孫である。
それまでキリスト教においては、生物をはじめ地球上の創造物は全て創造主=神によって作られたものであるというのが常識でした。
こういった中でダーウィンが発表した進化論は「世界は神が創造した」という説を否定するかのような発想につながるため、当然批判の的となりました。
しかし生物学のあらゆる分野から進化を裏付ける証拠が提出されたことなどにより
進化論は徐々に強化され、今では比較的一般的な学説と考えられていることも多く
1996年にはローマ教皇ヨハネ・パウロⅡ世が
「新たな知識により、進化論を単なる仮説以上のものとして認識するにいたった。」
と公式に述べたことで、世間を驚かせました。
ただこれは
「神は進化という手段を用いて創造の御業を行われた。
神のみが人間の魂を造ることができることを支持するならば、創造と進化は矛盾なく両立する」
ということだそうで、創造論を否定しているわけではないそうです。
進化論は証明されていない
旦那が「人間は神が土から作った」と何の疑いもなく言うのを聞いても、
私にとって進化論は当たり前のことだったので、なんで創造論を信じられるのか全くわからず、非常にモヤモヤしました。
旦那に聞いても「だってそうでしょ?」みたいなことしか言わないし。
ブラジル系のクリスチャンの方に「人間って、神様が土から作ったと思う?」って聞いても
「…まぁ、一応そういうことになってますけど、今は進化論があるからねぇ…」って言う。
ほら、やっぱりみんな進化論を信じてるじゃん?
なんでそういう中で創造論を信じられるんだろう…
そんなやりとりがあった数日後、家の郵便受けにエホバの証人が配布している冊子「ものみの塔」が入っていました。
別に私、宗教に抵抗はないし、何か読むのは好きなので、時間がある時ならばこういうのも普通に読みます。
お茶を飲みながらパラパラめくっていたら、宗教と進化論のお話が書かれていました。
おお…エホバの証人よ…!なんと言うグッドタイミング…!!グッジョブ!
ということで、早速図書館で宗教と科学関連の本を借りてきました。
ついでにエホバの証人の知人にお願いして、エホバの証人から出ている進化論関連の本も頂きました。
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何冊か本を読んでみましたが、一番わかりやすくてストンと腑に落ちたのは、
そのエホバの証人の方にいただいたハードカバーの本に書かれていた、アメリカの小学生(中学生?)の女の子が、科学の時間に先生とやりとりをしたという内容。
ザックリとこんな感じの事が書かれていました。
現在の進化論は、複数の時代から発掘された骨や化石などから
「これはそれぞれこうやってつながっているのだろう」と推測しているだけにすぎない。
それぞれの時代のものとして発掘されたものが同じもの・つながっているものだという証明はされていない。
現在「進化の過程」と考えられている発掘されたものは、それぞれ神が別個に作ったものである。
これを読んで、なるほど〜と思いました。
その後、進化論とか生物学の本を読んで、これが「ミッシングリンク」という考え方だということも知りました。
確かに、改めてそういわれてみると、
進化論って証明されているわけではないんだ、と納得。
ただ私的には、
「進化論は証明されているわけではない=進化論が正しいとは限らない」
と納得できただけで
「だから地球上の全ての生物は神が作ったものである」
とはなりませんでした。
エホバの証人の本には、創造論の証明についても書かれていたのですが、結局それは一言で言えば
「人間のような複雑なものを作ることができるのは神の御業のみ、神の起こした奇跡である」というようなことで、これに関しては曖昧すぎて、つーかスピすぎて納得できない。
だって、それじゃ進化論が証明されてないのと同様、
創造論を証明することだってできてないじゃん…?
わからないってことがわかった
結局「創造論が正しいという証明」に関してはわからなかったし納得できなかったのですが、
進化論って当たり前だと思ってたけど、そうじゃなかったんだ…って理解できただけでも私的には収穫でした。
で、最終的に私が出した答えはこれ。
人間がどうやって今の形に存在するようになったのかは結局なにもわからない
わからないってことがわかった。
それでかなりスッキリです。
「旦那がなぜ創造論を信じていられるのか」に関しては、
私が進化論は当たり前だと思っていたのと同様、
そうやって教えられて、それしか知らなかったのだとしたら、旦那の中ではそれが当たり前のことなんでしょう、多分。
育ったバックグラウンドが違う人と一緒にいると、相手が自分とは全く違う常識やものの考え方を持ってることも多くて、その都度新鮮で色々興味深いです。
知らないことを知るって、面白いし楽しい。
旦那の言動に疑問を持ったら、できるだけなんでも調べるようにしています。
こういうのは全て、自分の知識や見聞を深めるチャンスだもんね。
国際結婚のメリットの一つだなぁと思っています。
その後旦那と動物園で熊を見ていたら旦那が言いました。
悪いことをしたから罰を受けて熊になってしまったんだ。
山月記か。
いや、あれは熊ではなく虎だった。
つーかそもそもあれ、日本の小説だし、元だって中国の話だし。
猿がだんだん人間になる進化論はあり得ないと否定するのに、
人間が熊になるのは、旦那的にはアリらしいです。
謎。
これについても調べたんですが、結局何もわからなかったです。
キリスト教の七つの大罪を動物で表す際に熊を使っていた場合もあるけど、
人間が罰を受けて熊になったとか言う話ではなかったと思うし。
一体旦那はどこからそんな話を聞いたのか。
誰か「熊は元々人間だった」みたいなことについて知ってる方がいたらぜひ教えてください。
イスラームの話なのかパキスタンの話なのかフンザの話なのかすら謎です。
お読みいただきありがとうございました!
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うちのガーナ人の夫(クリスチャン)は、一応進化論の
サルから人間になったという話の内容は知っていますが
まったく馬鹿げた考えだと思っていて、心の底から神様の創造論を
信じています(笑)
ダーウィンの進化論も、どこどこの亀と違うところの亀が
同じ種類なはずなのになんか形が微妙に違う、もしかしてこれは
環境によって進化(変化?)したのか?っていうのから
始まっていたとどこかで読んだような。
とすると種を超えるってまたハードル高いかなって気もします。
個人的にはどっちでもいいです(笑)
osramさん
コメントありがとうございます。
ダーウィンの進化論はガラパゴス諸島でこの島のみに生息する独自に進化した動物達を見て、
「神はこの島のためだけにこれらの動物達を作ったのか?
閉ざされた環境であるこの島だけで独自に進化をしてこの姿になったのではないか?」
という、進化論の着想を得ています。
ただ、ダーウィン自身「あらゆる生物の中で、進化論に一番あてはまらないのは人間だ」と言っていますし、
ダーウィンの共同研究者、アルフレッド・ウォーレスも
「人間だけは自然淘汰の原理がはたらいていない。ある知的存在が人間の発達を指導、決定した。」と述べています。
実際に生命の誕生をこの目で見ることができるわけではないし、
やっぱり進化論は、今のところ実証できる・証明できるものではないんだなと思います。
人間は宇宙人が創った、そう考えればすべてツジツマがあうぞ!(笑)
ひろさん
ムーとかニュートンは好きなんだけど、
そこまで考えられるほどスピリチュアル系ではないんだよね私…(笑)
こんばんは。とても興味深い記事、読ませていただきました。
私の彼(パキスタン人)に聞いたところ、熊が人間になったなんて僕らは考えないよ、と言っておりました。彼は敬虔なムスリムなので、おそらくイスラームの話ではないのではと思います。フンザなど一部の地域での言い伝えかもしれませんね。
富士子さん
コメントありがとうございます。
何らかの罰や罪のために人間が動物になってしまう…という話は世界中至る所にあるお話なので、
おそらく旦那の言う熊の話に関しては、多分何かの物語なのだろうと思っています。
「もしかして美女と野獣の野獣を熊と思ってるんだろうか?」とも考えてます。
あと、富士子さんの彼がどうこうということではないですが、
必ずしも「敬虔なムスリム=イスラームの知識が豊富」というわけではないと私は思っています。
特にパキスタンやインドの場合、
イスラームにもインド亜大陸の土着の文化的なものが混じっていることが見受けられることがあり、
あら?っということも多いです。
物語を真剣に信じる旦那さん、とってもピュアですね( ´ ▽ ` )
なるほどです。パキスタンでは敬虔なムスリムでも、本当のイスラームを知っているとは限らないのですね。パキスタンは宗教国ということで、彼の話すイスラームをすっかり信頼しきってましたが、他の文化の影響も考慮していく必要がありそうです。
返信ありがとうございました!
富士子さん
ピュアと言うと聞こえがいいですが、アホなのかな?と思うこともしばしばです。
「本当の」イスラームという表現をするとちょっと語弊がありますが(彼らにとってはそれが正しい事だったりするので)、
他の地域のイスラームとちょっと違う場合もあるよ、ということです。
ただ宗教といえども実践するのは人ですから、
どうしても時代や場所によって少しづつ変化していってしまうのは自然なことだと私は思っています。
そういう変化を客観的に見てみるのもとっても面白いです。
旦那さんの宗派は何でしょうか?
イスラム教でもアラウィー派の教えでは生前の行いによって来世が人か動物かが決まると輪廻転生の考えがありますよ。
二ムルさん
そうなんですね!
ありがとうございます。
こんにちは!
ちょっと知識があるので、書きたいと思います!
「創造論を証明することだってできてないじゃん?」についてですが、科学では証明されていなくても、イスラム教のコーランではしっかりと書かれている内容です。じゃあ、なんでコーラン信じればいいの?って思うのは、コーランを読まないとわからない話しかもしれませんが、コーランの中には、現在となって証明されている科学的事実が沢山書かれています(精神から赤ちゃんが生まれる過程、山、鉄、空、などなど)、しかもそれは1400年もの前に書かれている内容で、文盲の預言者ムハンマドを通して人々に伝えられた内容です。読むことが好きとおっしゃっていましたが、一度コーランの内容を読んでみてもわかることがあるかもしれません❤︎ コーランに書かれている内容や過去、将来の情報について一般的な人間には書けない内容です。だから、コーランは奇跡だと言われているんです!
私たちはどこから来たのか?
①「誰かに作られた」、②自然に生まれた、③無から生まれた
の3つがあるとすれば、②自然から生まれた→じゃあ自然は誰が作ったのか?
③無から生まれた→ それは論理的に考えてもありえない話しです
だとすれば?、①が残ります。
なんで人間は自分がどこから来たのか考えずに、人生を過ごしてしまうか不思議です。
参考までにどうぞ♪
さりーさん
コメントありがとうございます。
学生時代に和訳のクルアーンや聖書は読んだ事はありますが、
私にとってはリグ・ヴェーダやラーマーヤナ、オデュッセイアやイーリアス、カレヴァラなどを読んでいるのと変わりませんでした。
日本だと古事記でしょうか。
ムスリムだけでなく、他の宗教の方々の中にも、自分たちの聖典を「本当にあった事」という前提で話される方がいますが
それらを信仰してるわけではない者からすると、結局はどれも「お話」という風にしかならないのです。
また、消去法というのはあくまでも他の候補を消去していった上で残ったと言うだけの推論でしかなく「証明」とはまた異なる事かと…
やっぱり創造論を証明することはできてないと思います。
コーランでは、「本当にあったこと」を話すともともに、現存する事実についても話されています。しかも当時知る手がなかった事実についてです。1400年前より一言も変わってないと、最近証明されている最古のコピーと現存するコーランに対して、人々によって解釈されている他宗教の聖本は、そこに大きな違いなんでしょうね他の宗教とでは。
難しい話しではないのですが、もし、この世と人々は自然の出来事でランダムに起きたことの一つで、無目的に存在していて、死んでいってしまうってなんだか考え不足というか、なぜみんなが納得するのか私自身日本人も含めて不思議です…。
さりーさん
考古学会的にはオカルトや空想でしかないとして認められていないものの
「本当にあったこと、当時では考えられない現存する事実についても話されているのではないか?」として研究されている
聖典や神話、遺跡は他にも色々ありますよ。
さりーさんにとってはクルアーンは「他宗教の聖典とは違う」かもしれないし「本当にあった事」なのでしょうが
私にとってはクルアーンも他の宗教の聖典や神話、叙事詩同様に
「お話」であり「もしかしたら本当にあったかもしれないなぁ」と好奇心やロマンを感じる程度のものです。
そういうのは普通に好きですけどね。