こんにちは、スズケーです。
昨年の夏、冷蔵庫が壊れました。
アイスクリームが、冷凍食品が、牛乳が、チーズが、何もかもが全てダメになりました。
2週間ほど冷蔵庫なし生活を余儀なくされました。
その時にたまたま、知り合いの方からこの記事を教えてもらいました。
まぁ、考え方は色々ですけれど、
私自身のことを言えば、やるつもりは全くないし、こういうの好きではないんですよ…
こういうのは「持てる人の高尚な趣味」だと思っています。
目次
今、フンザには電気がない
フンザはここのところずっと停電続きのようです…
元々冬は夏に比べて発電量が減るため、計画停電で電気があまりこなくなります。
私が住んでた時は、
夜間は3日に1度電気が来るのみ、それ以外は日中に運が良ければ数時間のみ電気がある、
という状態だったのですが、
この11月〜12月にかけては「1週間近く全く電気がこない」ということが起きています。
氷河の拡大で発電がストップ
フンザは山から流れ込む氷河の雪解け水を使って水力発電をしているのですが、
どうやらハサナバードで氷河が拡大しすぎて水路を完全に塞いでしまっているよう。
氷河の上流には排出されなくなった水が湖を形成して貯まってしまっており、急に決壊すればその下の村に一気に土砂が押し寄せる危険性が。
また、発電所には水が送られないため発電ができない状態になっています。
毎日停電が続くと言うあまりにも酷い状況であるにも関わらず、政府が何も対応しない事に対し、
11月27日にはシャッターダウンストライキ(お店やホテルなどが全て閉まる)やロードブロック、抗議集会が開催されました。
一応、ギルギット・バルティスタン州政府の人や、発電所の方も視察に行っており、
なんだか大きなドラム缶みたいなのを持っていっておそらく水路へ流れる水路を確保しようとしているようでしたが、果たしてうまくいくのかどうか…?
フンザが一番寒いのは1月末〜3月上旬で、これからまだまだ気温は下がります。
今の時点でこれでは、今年の冬は電気事情がかなり厳しいかもしれません。
これは抗議集会の際のフンザの女性のインタビュー。
ザックリまとめるとこういうことを言っています。
電力不足に対するフンザの女性のインタビュー
ここ数日フンザには電気が全くありません。
フンザは発達したエリアだと言われますがが、ここに住む私達は本当のフンザを知っています。
水、電気…ここには生活に必要なものが何もありません。
ミール(元藩王)や一部の裕福層の元にだけ全てが揃っている。
学生や女子供の元には何もないのです。
全く電気がないのはかなり厳しく、
夜間は電気の代わりにガス灯を使ったりするため、このままだと今度はガスが高騰してしまいます。
家の明かりがないのはもちろん、携帯電話の充電もできないため、
親戚や友人に電話しても、携帯電話の電源が入ってなくてつながらない事が多発しています。
「その気になれば持てる人」「持たない事を選べる人」の高尚な趣味
「欲しくても、ない」フンザの生活を経験して
私はパキスタン・フンザに住んでいる時に、電気がまともにこない生活を経験しています。
観光客もいる、春〜秋のフンザではなく、訪れる人すらあんまりいない冬のフンザ。
前述した通り、まとまった電気が来るのは3日に1度数時間のみ。
水も凍ってしまっていたので、3日に1回、水路から水汲みして家に水をためておかないといけませんでした。
ガスも不足して、どこに行ってもガスが手に入らずデモの列ができていました。
私達もガスが手に入らないので、あちこちから木や燃えるものを集めてきて、それで薪をして暖をとったり、料理をしたりしてしのいでいました。
「持たない人」と「持てない人」
冒頭に紹介したリンク「モノを手放したら不安が消えた——家電製品もガス台もなくなったら快適で幸せな日々が待っていた」の話に戻ります。
この人がしている生活と、その生活に対する考え方についてピックアップすると、こんなことを言っています。
- 原発事故をきっかけに、原発がなくても生きられるはずだと勝手に節電を始める。
- 冷蔵庫も洗濯機もテレビも捨て、会社員という地位も手放し、築50年近いワンルームマンションで生活。
- 手放していく生活に新たな可能性を感じるようになった。実はモノを手放していく方が豊かなんじゃないかと思っている。
- モノを手放していく生活を体験して、自分が何でもかんでも手に入れようとしなくてもいいんだと感じることができるようになった。
- これまでの人生で一番小さい家に住んでいるけれど、一番大きな暮らしをしている感覚がある。この街全体が私の家だと思っている。
日本でこういう生活をしている人は、
私からしたら
日本と言う、いざとなったら何でもある国・最低限だったとしてもサポートが受けられる国の中で
余裕のある人が好きで行う高尚な趣味
に見えます。
世の中には「持たない人」と「持てない人」がいます。
記事の中で
「何でも手に入れようと思って、手に入らないことばかりに目を向けて不安に思ったり、惨めに思ったりするのは、やっぱり情報が多すぎるから」
「暮らしのサイズが、自分でコントロールできる範囲に収まっているとすごく快適」
という発言がありますが、
この人は、好きでやっている「持たない人」です。
「持つもの」「持たないもの」だって、自分で好きに選べます。
「その気になれば持てる人」「持たない事を選べる人」です。
「持てない人」は、コントロールした結果に何も持っていない生活をしてるのではなく、
「必要なものも手に入れられない」、「そういう環境にないから持つ事ができない」のです。
そもそも情報も何も入ってきません。
みんな快適かどうかなんて知る術もなく、どんなに大変でも「何もない場所」で生活しなければいけません。
「ものを捨てたら生活が快適になった」とか、生活に余裕のある人の発言でしかありません。
自分で持たなくても外に出れば全てある人と、本当に何もない人
この人は家の中に何もなくても、日本という国に住んでいて、外に行けばなんでもあるわけで、
結果、自分で持たずともとても楽に生活ができるけれど、
本当に「ない」場所で、自分はもちろんみんながない生活っていうのは、本当に大変です。
便利で安全な場所の中で、自分から喜んで「ない生活を選ぶ」のは、
そもそも何もない場所の人からしてみたら、それを自分から好きで選べるだけの余裕があるということで、
これがどんなに贅沢な事なのかわかっているのかな?と思います。
本当に何もないって言う事は、自分が何かが足りなくて困っていても、周りにそれを助けてくれる人ももちろんいないということ。
だってそもそもそこに「ない」んだから。
フンザに住んでいた時。
ガスだってそもそも売ってないから買えないし、他から借りるとかも無理でした。
水が少なくなればみんな自分の畑に水をひきたくて奪い合いの喧嘩になる。
ほんとにずっと電気がこなくて病院はできない治療もありまいした。
食べ物だって特に野菜が不足しがち。
ネットもまともにつながらないし、テレビは写らないので情報も入らない。
全てそもそも「そこにはない」「手に入らない」。
みんなこの先どうなるかわからなくて不安だけど、
情報すら入ってこないのでどうしようもなく、今できる事をするだけ。
こういう「自分だけでなく、周囲全部に本当に何もない」生活だったとしても、
この記事の方みたいな生活をしてる人々は、
自分から喜んでして「快適で幸せ」っていうんでしょうか?
少なくとも、あの時のフンザで「快適で幸せ」なんて言う人、一人もいなかった。
みんな大変大変って言ってましたよ。
今だってそう。
「ほんとうに何もない事」がいい事とは思わない
だから私は、ものを持たない事を快適だとは思いません。
もちろん、持つか持たないかは個人の自由だから、
持たない生活がいいという方はご自由にどうぞ。
でも、この人みたいに
恵まれた環境の中の一部に、自分の持たないスペースを作って
それで「持たない生活って素晴らしい」って言ってる人は好きじゃない。
はいはい、高尚な趣味お疲れさん、って思う。
フンザのような場所を見て
「ここには日本には失われた何かがある」「このまま変わってほしくない」
とか言うのも好きじゃない。
「失われた何か」って何?
あなたのいう何かはあるのかもしれないけれど、足りないものもいっぱいある。
それに「変わってほしくない」って、この場所は
あなたが普段生活している場所みたいに、便利になってはいけないって言うこと?
フンザみたいな不便な場所が、
電気がもっとちゃんと来るようになって、
水だって綺麗な水が使えるようになって、
ガスや食べ物の流通も止まらず、インターネットも普通につながるようになるって言うのは、
そこで生活をする人にとってはいい事だと思っています。
みんな望んでいる事だから。
そこに住み、生活する人にとって
「生活がうまく回らなくて困る、辛い」そういった問題が減ったり、
これまでしてた苦労がなくなったり、
どうしようって不安に思う事が減るのは
彼らがそれを求めているならばいい事だと思う。
もちろん景観が悪くなったり、昔の情緒がなくなったりという弊害はあるけれど、
「昔の良さがなくなった」とか言うのは、
便利な場所から来た観光客のエゴでしかないと思っています。
大体の場合、外から来る人達の言う「良さ」は、生活する人にとっての不便です。
何もない中で「持つ事」を作り出す
同じように、原発がなくても生きられるはずだと言ってる方の中では、
こちらの人にはとても好感を持っているし、参考になる事がいっぱいあります。
遥か昔に一度だけお会いした事があります。
テンダーさんは、
恵まれた環境の中で家の中だけものを捨てて「持たない生活って素晴らしい」って言ってる形だけの人ではなくって、
何もない環境の中で、必要なものを持てる工夫・本当に必要なものは自給自足する工夫をしながら生活している人です。
何もない中でも、必要なものは自分で生み出して持つ事ができるということを
ご自身の生活で実際に行って証明しながら、その知識をサイトや本で公開しています。
1つの家の電気を、ソーラーパネルの自家発電で全て賄う方法、
そのソーラーパネルの作成から設置までの方法などを一冊にまとめた本も出版しています。
今度2ヶ月くらいフンザ行く時に、ソーラーパネル設置実験したいと思ってます。
本についてはテンダーさんのサイトにどんな内容なのかが書かれていますので、
興味がある方は見てみるといいと思います。
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なんにしろ私は、
「持ちたくても持てない」生活を、実際に自分で体験して、知っているので、
そういう人がいる中で、
上辺だけの「持たない生活って素晴らしい」なんてとてもじゃないけれど言えない。
考え方は人それぞれですが、
「持てる人の高尚な趣味」みたいなのだけはしたくないなーと思っています。
別に、冒頭のリンク先の記事の人がダメっていうわけじゃないんだけどね、
私は好きじゃない。
それだけの事です。
お読みいただきありがとうございました!
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今日の文章は特に気持ちがこもっていたよ。当たり前だけど、フンザに1年外国人がいるっていう事は大変なことだね。言葉に重みを感じるよ。フンザの問題も良いほうに解決してほしいよ。みんなが幸せになればいい。
ひろさん
外国人がフンザに1年住むのが大変だった、というより
住んでた年の冬は電力事情が悪すぎて大変だった、という感じ…
早く水路が使えるようになるといいんだけどね。
ウチのオンラインレッスン生徒、停電日常。テヘペロします。そして、私のたぶん甥っ子的立ち位置の男の子、「日本で電力会社に勤めて」
坪野和子さん
すみません、コメントの意図がわかりませんが
「停電が日常」なのと「本当に全く電気がこない」のは全然違います。
毎日停電するのが当たり前のところに住んでいる人でも困る位、今のフンザは電気がこないのです。
のん気にしているあなたのお友達は恵まれていると思います。