こんにちは、スズケーです。
パキスタンに関する本と言うのは、旅行ガイドブックも含め、あんまり多くはないのですが…
その中でもさらに「パキスタン人との国際結婚」に特化して触れている本はほぼありません。
その「パキスタン人との国際結婚」についてまとめた貴重な本がこれ。
工藤正子著の「越境の人類学 在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち」。
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今回はこの本のご紹介を。
目次
越境の人類学 在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち
まずこの「越境の人類学 在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち」と言う本ですが、元々が論文なので、普通に読む本としてはもんのすごく読みにくいです。
論文にありがちな、日本語なのに句読点(、。)ではなく、コンマとピリオド(, .)を使ってるところとか、
説明に必要な写真、図表などの資料を、それが出てくるのと同じページにまとめるのではなく、巻末にまとめて載せてるところとか(いちいち巻末をめくって対応する資料を探さないといけない)、
ぶっちゃけ「本として出版してるのに、読者にスムーズに読ませる気ないよね?」みたいな作りになってて少々イラつきます。
なので、本を読むことが好きな人、活字に慣れてる人じゃないと、なかなか最後まで読み進められない気がします。
それでもまぁ、「パキスタン人との国際結婚」そして「パキスタン人と結婚した日本人女性」に興味のある方は一度手に取ってみてもいいかなぁとは思います。
著者 工藤正子さん
著者の工藤正子さんは、京都女子大学現代社会学部の教授(2019年現在)。
国境を越えた人の移動によって生じる社会の多文化化を研究されている方だそうです。
具体的な対象として、パキスタン人イスラーム教徒の男性と結婚した日本人女性や、そうした国際結婚から生まれた第二世代の若者たちにインタビュー調査をしているそうで、
それらの調査結果をまとめたのが「越境の人類学 在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち」という本です。
インタビュー対象はイスラームの勉強会で出会った日本人ムスリム女性
2008年に出た本なので、内容はちょっと古めです。
主にバブル前後の時期に日本に働きに来ていたパキスタン人と結婚し、「外国人労働者の妻」「改宗ムスリム」となった日本人女性へのインタビューを中心に、
生まれ育った日本に居ながらにして周囲と異なるマイノリティな存在となった彼女達が、日々日本社会との間を「越境」をしながら、パキスタン、そしてイスラームをどのように受け止め、どのように自己を確立し生活しているのかという自己変容の様子が書かれています。
ただ、インタビュー対象は「日本人ムスリム女性が集う勉強会で出会った、パキスタン人と国際結婚している日本人女性」なので、
「パキスタン人と結婚してイスラームに入信、イスラームに興味を持っていたり、自主的に信仰を行っている人」について研究・まとめた本であって、
「パキスタン人と結婚しているけどイスラームは全く興味がない・何もしていない」という人については触れられていません。
あくまでも、イスラームに関心のある人を調査対象とした論文。
なので「イスラームやりたくなくて悩んでいて、他の人がどうしてるか知りたい」みたいな人にはあんまり参考にならないです。
イスラームの実践の仕方・生活への取り入れ方に悩んでいたり、パキスタン人夫のいうことと本やモスクで学んだイスラームとに相違があって戸惑っている方なんかは、読んでみると多少思うところがあるかもしれません。
大まかな内容
パキスタン人男性と結婚した日本人女性が、パキスタン人コミュニティの目・日本人社会の目を気にしながら、周囲と融和する方法を模索するなど、
様々なことが複雑に絡み合う中でも、いつの間にか自分を支えるもの・指針となるものがイスラームになっていて、
そのイスラームを持って、日本人女性達が「越境」していく様子が時系列に沿ってまとめられています。
目次はこんな感じ。
- 序 章 外国人ムスリムとの結婚 ―もう一つの「越境」への人類学的アプローチ―
- 第1章 夫たちの来日 ―国を離れる力とつなぎ止める力―
- 第2章 出会いから結婚へ ―「妻」となるプロセス―
- 第3章 男性のネットワーク形成とジェンダー規範の再構築
- 第4章 ムスリムとしての自己覚醒
- 第5章 「本来のイスラーム」という地平
- 第6章 「日本人ムスリム」としての自己の再定義
- 第7章 国境を越える家族
- 終 章 現代日本における女性たちの越境
第1~2章では、日本人女性と夫となるパキスタン人がどのようにして出会い、結婚するに至ったか、ということについて。
バブルの頃は日本とパキスタンが相互協定でビザフリーで来日が可能で、仕事も山ほどあったため、ビザを持たない外国人でも労働力として重宝されていました。
そのため、不法滞在者となって違法に働くパキスタン人労働者も多かった。
オーバーステイのパキスタン人労働者と日本人女性の国際結婚は「ビザ目当ての結婚」という目で見られがちですが、
インタビュー対象の日本人女性の側からは
日本人や欧米人と比べて「家族や親を大切にする」「優しさやはっきりした頼りがいがあるところ」などという確固とした理由があったから結婚したのであり、
「相手にただ選ばれたのではなく、自分の意志で確固とした理由を持って結婚をしたのだ」という声が多数であるということが紹介されています。
これまで素敵な日本人男性との出会いに恵まれなかった方が多いのだろうか…と薄ら感じました。
まぁ、論文ではなれそめ全てを紹介するのは限界があるし、実際のところは本人達にしかわからないことですが。
第3章では、パキスタン人男性が日本人女性との結婚後に自営業者となり、同業者間で相互扶助コミュニティが形成される様子について。
彼らのコミュニティではパキスタンの文化や社会、価値観が再現される場となり、
日本人女性もパキスタン人の配偶者・パキスタン人夫が管理をする夫の名誉を表すツールの一つとして見られ、評価されるようになります。
パキスタン人の夫達が日本人の妻に求めるのは「パキスタンの文化・パキスタンのイスラームを再現する妻」であり、
日本人の妻がパキスタンの料理を作ったり、民族衣装のシャルワールカミーズを着用し、礼拝を行うことで、コミュニティ内での夫の自尊心や名誉が保たれることが説明されています。
シャルワール・カミーズの着用に関しては、こっちの記事でもちょっと紹介しています。
著者が女性研究者で、インタビュー対象も女性が中心であるせいか、本の中ではファッションを通じた観点からの分析の割合も結構多い気がします。
続く第4~5章では、そうした「パキスタンの夫のためのイスラーム」に疑問を持ち、それに抗う日本人女性の変容とその過程がまとめられています。
モスクで開催される勉強会などに参加し、イスラームについて学んでいくうちに、夫が言うイスラームと自分が学んだイスラームとの間に違和感を感じ、
夫の名誉のためではなく、自らの信仰心に基づいて
シャルワールカミーズを脱ぎ、ヒジャーブと呼ばれる大判のショールで髪や耳、胸元を完全に覆い隠す女性が増えていきます。
パキスタン人の妻である日本人女性らが、パキスタンとは関係のない他のムスリム女性や講師との出会いを通じて、「パキスタンの習慣」から「本来のイスラーム」を求め、
夫との衝突や、自分自身の葛藤と模索を繰り返しながらムスリムとしての自己を構築していく様子がインタビュー結果を元に描かれています。
夫から押し付けられるパキスタンの文化・習慣に対して、「本来のイスラーム」という知識を持って対抗するようになるというのが、日本人の勤勉さと言うか、完璧主義を象徴しているようで興味深い。
第6章では日本人でありながらムスリムであることの周囲の目について、
第7章ではパキスタンの親族との関係性や、経済・子供の教育なども考慮した上でのパキスタンへの移住・生活に関してなど、
パキスタン人の妻となった日本人女性が直面する生活についての問題が具体的に紹介されています。
この時もやはり日本人女性を支えるのは、勉強会を通じて得た本来のイスラームの知識と、ムスリムとしての自己で、
みんな自分の考えるイスラーム・ムスリムに大きく乖離しないよう「母親」や「妻」として、そして日本人改宗ムスリムとしての生き方を模索しています。
変化する在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち
前述していますが、2008年に出た本ということで内容は少々古く、
本書でインタビュー対象になっている日本人女性達は「今、パキスタン人と結婚した日本人女性」とは、
そもそもの結婚・男女の関係・働き方についての考え方など、大きく異なる点も多々あるんだろうなぁと言う感じはします。
そしてやっぱりこの本は
「勉強会に参加する程度にはイスラームに興味を持ち、実践しようとしている日本人女性」という、パキスタン人と結婚した日本人女性のごく一部のケースしか切り取っていなくて、
では、イスラームにさほど興味がない・実践していない日本人女性は
パキスタン人との結婚・生活の中でどのような越境を経験し、乗り越えているのか?
と言う点に関して触れられていないのが、ちょっと物足りないところです。
周囲と違うことを気にしている
あとは、ムスリムとかイスラム云々関係ない視点から見ても、
日本人女性特有の心理が出ているなぁと言う点で非常に興味深かったです。
インタビュー対象の女性たちが結婚当初に夫の言うがままに「パキスタンのイスラーム」に従う様子は、もちろん知識がない状態だから、と言うのもあるだろうけれど
「周囲の目を気にしている」「周囲と違うことを気にしている」ようにも見えた。
結局日本人は「周りの空気に合わせる」文化の中で生き、自然とそれに従える人が多いのだなぁ、と思います。
自然と周囲に併せられると言うのは日本人の美徳でもあり、つまらないところでもある。
人と違うこと・人に何か言われること、はそんなに怖いことなんだろうか。
本書に掲載されているインタビューでは「同じ立場の人(パキスタン人と結婚している人)じゃないと話してもわかってもらえないから空しい」という意見を言う女性も多く、
改めて「女性は共有・共感しあいたい」生き物なのだなぁってことを再認識しました。
可視化されないマイノリティ
この本の発刊からすでに11年が経っていますが、
その間、日本に住む外国人は前以上に増え、ハラールがビジネスになったり、ハラール飲食店が増えたり、あちこちにモスクが建ったりと、イスラームの日本社会への溶け込み方も変わってきました。
手に職を持って自立し、結婚以前からより強く「自己」を確立している女性も増え、
パキスタン人との結婚に関しても、結婚しても最初から一切夫のコントロール下に置かれず、ほとんどパキスタンやイスラームとも無縁のまま、それまでとなんら変わらぬ生活をしている人も
前以上に多くなっているのではと思います。
以前別の記事でも書きましたが、
ネットなんかで見かけるパキスタン人と結婚した日本人女性は「イスラーム的生活実践してます」みたいな人が多く、
「自分はきちんとしていない」という劣等感や、「他とは違うこと」を極端に怖がる日本人的考え方も相まって「パキスタン人と結婚したけど、イスラム的な事は何一つやってない」という人は声があげにくい。
そのため、モスクでの勉強会に参加している女性たちのように
「同じ境遇の者同士、共感し、相談したり助け合ったりする」こともあまり出来ません。
「人と違うことをして何か言われるのが怖い」ということで、自分はパキスタン人と結婚しているがイスラム的なことはしてないと言うのを躊躇する方もやはり多いかと。
イスラム的な事は何一つやっていないとしても、配偶者がパキスタン人と言う、自分たちと全く異なる文化の中で育ち、異なる考え方を持ってある人である以上、
大なり小なり、生活の中で「越境」は経験しているはず。
「越境の人類学 在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち」でインタビュー対象となった女性たちは、日本人ムスリムというマイノリティかもしれませんが、
こうした、イスラムを実践していない妻たちは、パキスタン人と結婚した日本人女性の中で「可視化されないさらなるマイノリティ」な存在ではないか、という気がします。
もし今後、著者の工藤正子教授が再度、パキスタン人と結婚した日本人女性を対象としたテーマで論文を書く機会があるのであれば、
こうした「可視化されないさらなるマイノリティ」の女性にも目を向けてみると、
また新しい形の越境が見えてくるんではないかなと思いました。
でも、調査できたら多分面白いし、読んでみたい。
結構読みにくいですし、さほど読んで楽しい本ではないかもしれませんが、
興味がある方はチラ見してみるのもいいのではないでしょうか。
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可視化されないマイノリティの女性たちに関しては、こちらの記事も参考にど。
お読みいただきありがとうございました!
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私はスズケーさんの言う「可視化されないさらなるマイノリティ」です。
日本人ムスリマさん達とは何度か食事会であったことがありますが、共通のお友達がパキスタン人女性でよくお呼ばれされたのです。
日本人ムスリマさんたちの旦那さんはやはりパキスタン人。みなさん、シャルワカミーズを着ています。
わたしと10歳の娘は、普段の恰好。
それが良くないのか、同じ日本人でもハーフの女の子達(20歳前後)、誰も私に話しかけてくれません。
まあ、彼女らはウルドゥー語が話せるので、共通の友達とはウルドゥー語で話しますし、私は英語。
それにしても、あからさまに避けられてるって感じです。
また、そのパキスタン人女性が、私の長男(その時は小6、声変わりもしない時)にデザートを食べに来てと誘ってくれて、男子が集まる部屋から私達の部屋に来たら、彼女達、ヒジャブで顔を隠し始めたんですよね。
私、初めは、どうして?って思ったんですけど、うちの長男が部屋に入って来たからだと知り、すぐにデザートをもらって出てってもらいました。
なんかね、誘ってくれたパキスタン人女性はなんとも思わないのに、なぜか過剰に反応する彼女らに少し疑問が残りましたね。
旦那に言ったら、それはやり過ぎだって言ってました。
まあ、私の住んでいるこの辺りは、女子はこうあるべきって言う厳しい旦那さんを持っている人が多いのかもしれないです。車にも乗らずに、必ず旦那さんが送迎していますし。
でも、あからさまに私を避けるのは、なんか空しいかな。
バングラデシュの女性とか他の国の方は私に日本語で
気軽に話しかけてくれるのに。
この食事会、ムスリムのためってわけじゃなかったんですけどね。
さらさん
イスラーム的なことをどれくらいのレベルでするのかは、家庭・個人によって差がありますし、
やり過ぎかどうか判断するのも、実践している本人だけだと思います。
自分のことではなく、他の人がやっていることですから、
「小学生の男の子に対してまで大変ね…」程度に思っておけばいいことで、
ホストの女性が招いてくれたのであれば、さらさんが気にする必要もないかと。
日本人女性らも、
「あの人、旦那がパキスタン人なのにイスラム的なことなんにもやってないのね」ってdisって避けてるのかもしれませんが、
普段さらさんとあまり交流がなく、どう対応してよいのかわからないのでどうしても仲良し同士で集まって話してしまってるだけであるかもしれません。
まずはご自身からも会話を始めてみてはいかがかと。
もし、こちらから話しかけても避けられているようで、そしてそれが不快であるのであれば、
その方達が多数集まる際には顔を出さず、
自分が快適に過ごせる新しい交友関係を築いていけばよろしいのではないでしょうか。
気の合わない人と無理に付き合う必要ないですもんね。
まさしく、あの人、旦那がパキスタン人なのに・・・・ だと思います。
他の食事会では、世話好きの近所の日本人おばさんも参加していたのですが、その方には話しかけていたので、やはり、、旦那がパキスタン人なのに・・・・でしょうね。
もちろん、だからって嫌ってわけじゃないんですよ。
ただ、面白いなって。
Is she Muslim? これ、何度も聞きました。
彼女らにとっては重要なんです。
あまり社交的でない私には、仲良いパキスタン人女性に呼ばれる時だけ参加してます。だから、何度も彼女らに会っているんですよね。でも、なんかよそよそしい。
旦那がパキスタン人なのに・・・しか思い当たらないですね。それか、よほど、私のことが生理的に受け付けないとか???
さらさん
周囲の人間環境が自分に合わないのは、残念ながら運がなかったと諦めるしかないですね。
私は2名だけ、パキスタン人と結婚してる日本人女性の友人がいて(お二人とも遠方なので滅多に会いませんが)、
お一人は私から見てもとてもしっかりイスラームを実践されている方ですが、
私がムスリムじゃなくてもなんにも変わらず接してくださるし、人として尊敬できる方です。
人間関係には比較的恵まれているかなぁと。
まぁそもそもパキスタン人と結婚してる日本人女性が出入りする場所にまず行かないので、
宗教で人を判断する人とのエンカウント率も低いと言うのもありますけどね。
ブログ中でも書いたように、パキスタン人と結婚したイスラームを実践していない日本人女性も今は多いでしょうし、
そういう女性で集まるオフ会などやってみたら、思ったよりたくさんの人が集まるかもですね。
私もパキスタン人夫をもつ日本人です。
結婚して丸5年になります。
結婚当初はイスラーム実践を自分の中で義務化しておりましたが、「やりたくないこと」=「嫌なこと」をやっていることに気づきこのまま続けることで自分らしさが失われると思ったのでスパッとやめました。
ムスリム女性の集まりに一度だけ顔を出しましたが心地よくなかったです。そこで友人が欲しいとも思わなかったので、ムスリムの友人は皆無です。
夫婦仲は自慢できるほどよくて、信頼関係も年を追うごとに構築されていくことを二人で感じています。
私たちは私たちの形。周りに影響されず、ムスリムはこうあるべきにとらわれず毎日笑顔あふれる夫婦でいたいです。
スズケーさんの記事に大いに共感します。^-^
めがねさん
「ムスリム女性の集まり」ですと、どうしてもお話はイスラームに関することが中心になりやすいでしょうし
あんまり興味のない人にとってはちょっと楽しくない集まりになりがちでしょうね。
(ちなみに私は、興味がある内容の時であれば、宗教的なイベントでも参加します。目的は知ること、なので、終わったらサクッと帰りますが)
別に現在の生活に不自由をしておられない・不満がないのでしたら、
このままマイペースに、ご自身なりの夫婦関係・生活スタイルを作っていかれるのがベストだと思います〜。
私は、周りがどうとかよりも、
「自分が気持よくストレスなく過ごせる」のを何より大切にしたいです。