1947年にイギリスから分離独立したインドとパキスタン。
もともと一つの国であったはずのこの国は、独立してから現在まで対立を続けています。
宗教間での考え方の違いが対立の最大の理由となっていると思われがちですが、対立の原因の一つには、イギリスがインドと言う大きな国が力をつけすぎないよう、民族対立や宗教対立が起きやすく操作を行った…と言うのもあります。
2019年2月14日にカシミールで起きたテロをきっかけに、インドとパキスタン両国間の緊張が高まっていますが、
この機会に、インドとパキスタンの歴史を見直してみたいと思います。
目次
インドとパキスタンの歴史
中世インド イスラーム王朝時代
インド亜大陸にイスラームが伝わったのは、8世紀頃からだと言われています。
元々この地域には様々な民族・宗教が混在していたため、比較的すんなりと受け入れられたようです。
13世紀になると、デリーを中心にイスラーム王朝がインドを支配するようになり、
「支配層はムスリム、民衆の多くはヒンドゥー」という構図が生まれました。
当初はどのイスラーム王朝も宗教的に寛容で、皇帝がヒンドゥーの妃を迎えるなど、ヒンドゥー教徒との融和政策を行っていました。
人々がおおらかに過ごしていた事の証明でしょう、この時期に、イスラームとヒンドゥー、両方の影響受けた絵画や建築、宗教(シク教)などが誕生しました。
17世紀後半、ムガル帝国のアウラングゼーブ帝がイスラーム以外の宗教に厳しい政策を取るようになります。実際には地方や民衆の間ではさほど大きな弾圧はなかったとも言われていますが、これを機にムスリムとヒンドゥーの間に徐々に亀裂が入り始めました。
イギリスによる植民地化と搾取
大航海時代が始まり、15世紀末にはポルトガルやオランダがインド亜大陸に進出してきます。17世紀後半にはイギリスが東インド会社を通じてこの地を植民地化することに成功します。
イギリスが東インド会社を通じて安価なイギリスの綿製品をインド亜大陸に大量に売りつけるようになったことからインドの綿織物産業は壊滅的な打撃を受け、
また、地主に土地の所有権を認める代わりに「地税」を徴収するなど、インドの資産を吸い上げるようになりました。当然インドの経済は悪化。
イギリス向けの綿花や茶、中国向けのアヘンなどの生産を強制される中でも、人々はセポイの乱などで抵抗をしましたが、最終的には武力を持って押さえつけられます。
これをきっかけに1877年、インドの支配が東インド会社からイギリスの直接統治に変わり、ムガル帝国は滅亡。本格的にイギリスの植民地を歩む事となります。
イギリスの内閣には「インド担当国務大臣」が設けられ、インドにはイギリス国王の代理人であるインド総督が派遣されました。
宗教間の対立を利用した支配
イギリスはインド帝国の支配において、さまざまなカテゴリーによる分割統治をおこないました。
当時のインド亜大陸には大きな力を持つ藩王国が複数存在しており、イギリスは重要な場所は自らによる直接統治、藩王国はそのまま藩王に支配させるという分割統治を行いました。
分割統治のカテゴリーには宗教による分割も含まれていました。
当時の支配層であるイギリスに対してインド国民の不満が向かないように、もともと考え方の大きく異なるヒンドゥー教徒とイスラム教徒が互いに対立するよう仕向けたのです。
もともと支配層側で、少数派であるムスリムたちはイギリスの様々な政策を簡単に受け入れる事ができず、イギリス側もムスリムよりも扱いやすいヒンドゥー教徒を優遇するようになります。
これに対してムスリムは「自分たちは差別されている」と考えるようになりますが、その憎しみはイギリスだけではなく、彼らからすると「優遇されている」と見えるヒンドゥー教徒にも向けられました。
インド国内でイギリスへの反発の声が強まってくると、イギリスは反英勢力への緩和策として1885年にインドの知識人・中産階級を集め、インド総督の承認のもと、ヒンドゥー教徒を中心とする「インド国民会議」を設立します。
しかしイギリスの考えとは裏腹に、インド国民会議は反英運動へと発展します。
慌てたイギリスはヒンドゥー教徒を中心とするインド国民会議に対抗する組織として、1906年に全インド・ムスリム連盟を結成しますが、この連盟もまた、次第に反英運動へとつながっていきました。
イギリスからの分離独立
イギリスからの独立と言う志を同じくしながら対立するヒンドゥーとムスリム。
これに憂いを抱き、ヒンドゥーとムスリムの融和を図りながら、インドの独立を勝ち取ろうと訴えたのがマハトマ・ガンディーでした。
第一次世界大戦後、インド国民会議に加わったマハトマ・ガンディーは非暴力・不服従の抵抗運動を進め、ヒンドゥーとムスリムで別れる事なく一つの国家として独立する事を目指しますが、既に死傷者が数百人も出るような大きな衝突も起きる程に両者の対立は根深いものになっており、
1940年、全インド・ムスリム連盟はイスラム教徒の国を作ることを決議します。
インドの支配を諦めたイギリスは、第二次世界大戦後にインドを含めた植民地の独立を承認。
インド独立法を制定して「ヒンドゥー教徒が多数派のインド」「ムスリムを主体とするパキスタン」に分離させることで問題解決を図り、
1947年、インドとパキスタンはイギリスより分離独立しました。
最後まで独立分離に反対していたガンディー。
独立分離後も、インドにはヒンドゥーとムスリムが混在する地域がありましたが、彼はそういった地域を訪ね、ムスリムとヒンドゥー教徒との和解を説いていました。これが後に「ムスリムに寛容すぎる」とヒンドゥー教徒過激派の反感を買い、暗殺されてしまいます。
第一次インド・パキスタン戦争
両国の分離独立の際に、一つの争いの火種が生まれました。
カシミールです。
インドの北西部にあるカシミール地方は、住民の8割近くがムスリムでしたが、藩王はヒンドゥー教徒でした。
多くの住民と支配者の宗教が異なるという複雑な状況が関係してか、分離独立の際、カシミールはインドとパキスタンのどちらに属するか態度を明らかにしませんでした。
インドにもパキスタンにも属さず、独立する道を模索していたとも言われています。
カシミールの帰属が不明の間にパキスタンの民兵がたびたびカシミールへ侵入をするようになります。これに脅威を感じた藩王の一存でカシミールはインドへの帰属を決め、インドへ助けを求めます。
納得できずに義勇軍をカシミールに送り込みむパキスタン。
インドも軍を派遣し、カシミールで両軍が衝突、第1次印パ戦争に発展しました。
この戦争は1949年に国連の仲介によって停戦となりましたが、この時にカシミール地方の3分の2をインド、3分の1をパキスタンが支配するようになりました。
他国の介入と第二次印パ戦争
1954年、冷戦の中で中立の立場をとっていたインド対するあてつけのように、アメリカがパキスタンと相互防衛援助協定を結びます。
1959年にはチベットで大規模な反乱が起き、ダライ・ラマ14世がインドに亡命。これに対して激怒した中国はインドのラダックを占領しました。これは中国・インド国境戦争にまで発展し、中国の勝利に終わります。
1965年には中国の侵攻に影響を受けたパキスタンがインドとの停戦ラインを越え、第二次印パ戦争が勃発しますが、アメリカやイギリスからの圧力で停戦となりました。
少し前までパキスタンとの相互防衛援助協定を結んでいたはずのアメリカは、ソ連・中国に対抗するためにインドに軍事援助することを決定。
対して中国はパキスタンへの援助を始めます。
インドとパキスタンの対立は、他国の代理戦争の様も模してくることになります。
第三次印パ戦争とバングラデシュの独立
当時パキスタンはインドをはさんで東西に別れた分割国家でした。
東西での経済格差は激しく、西はアーリア系パンジャーブ人、東はモンゴル系ベンガル人と民族も異なっていました。
中央政府は西パキスタンにあり、東パキスタンはどうしても冷遇を受けがちでした。
こうした状況の中、東パキスタンで自治権獲得運動が激化。1969年にパキスタン中央政府軍が鎮圧に出動し、東パキスタンと武力衝突。
東パキスタンはインドの援助を得て全面戦争(第三次印パ戦争)に発展します。
パキスタン中央政府軍は完敗し、1971年に東パキスタンがバングラデシュとして独立します。
インドとパキスタンの核保有
カシミール地方を中心にインドとパキスタンの対立は続きました。
1974年と1998年には中国に対抗したインドが核実験を実行。
インドに負けるわけにはいかないパキスタンも、中国の支援を受けて核開発に成功、1998年に核実験を行いました。
1980年代には、インドでヒンドゥー至上主義の活動が活発化。ナショナリズムを掲げたインド人民党(BJP)が1998年に政権を獲得しました。
また、パキスタンがカシミールの反乱勢力を支援したことで、ラシュカレトイバやジェイシムハンマドなどのイスラムテロ組織がカシミールを活動の拠点に移していくようになりました。
核保有によって自信をつけたパキスタンは、1999年に再びインド側に侵攻、カルギル紛争が発生します。
2002年にもイスラム過激派がカシミール地方で停戦を越えてインド側を襲撃したのをきっかけに、あわや戦争か、と言うところまで発展しました。
カシミールの状況ついてはこちらの記事も参考に。
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2019年、テロをきっかけに関係悪化
そして今、2019年。2002年の危機再び。
2月14日にカシミールで起きた軍の治安部隊40名以上が死亡するテロをきっかけに、両国の関係は再び悪化しています。
2月26日未明にインド軍機がムザッファラバード(パキスタン側アザード・カシミールの州都)から領空侵犯し、パキスタン空軍がスクランブル(軍用機の緊急発進)。
インド側はテロリストの基地を空爆し、300名のテロリストを殲滅したと声明を出しました。
これに対してパキスタン側は被害があった事を否定しています。
同日夜にはカシミールで交戦。パキスタン側で民間人に死傷者が出ました。
Heavy shelling reported from #Kotli across the LoC as #India–#Pakistan tensions escalate. Video shared by a local resident a while ago. pic.twitter.com/1cotkOGMjN
— Fahad Shah (@pzfahad) 2019年2月26日
「やっぱりアンタら同じ国民だよ、何も違わないよ、仲良くしなよ」と思いますね。
翌27日にインド機が再び領空侵犯、パキスタン側も見逃すわけにはいかず2機を撃墜、パイロットを拘束しました。
ただし、パキスタンはあくまでも「和平を求める」事を決定。
現時点ではいかなる軍事目標も取らないと宣言し、両国が平和に向かって行くかどうかは今やインド次第と発表しました。
パキスタン側としては、モディ首相率いるBJPが春に控えるインドの総選挙を意識して派手な行動を起こしていると言うことは十分に承知しているようで、それも考慮した上での選択でしょう。
パキスタン軍部の発表
パキスタンの軍隊は、高い能力、強い意志と決意を持っており、何より国民の支持を得ている。
しかし、私たちは平和を望む国家として、今回のインドの軍事行為に対し、いかなる軍事目標も取らないことに決めた。
現時点で我々は(インドの攻撃による)いかなる損害も受けていない。(インド機を撃墜した)今日の行動はあくまでも自己防衛のためであり、報復行為ではない。
我々はいかなる勝利も主張しない。これは戦争での勝利ではない。
パキスタンの州、政府、軍隊、そして人々は常に平和のメッセージをインドに伝えてきた。平和への道は対話を経ていくものである。
両国は武力を持っているが、戦争は誤った選択である。
我々は両国間の対立がこれ以上エスカレートする事は望まない。
両国の人々は平和に暮らす権利を持っていて、戦争は問題の根本的な解決策にはならない。我々からのこの申し出について、インドは冷静に考えてほしい。
私達は両国が平和に向かって行くよう要請する。
戦争を始めるのは簡単だが、それが終わるのかどうかは誰にもわからないからだ。
引用元:Pakistan wants peace, India needs to understand war is failure of policy: DG ISPR
軍事力や地理的な事などを見ても、インドとパキスタンが戦争になったらパキスタンはちょっと不利でしょうし、そこの所はよくわかっているでしょうから、自分たちから仕掛けたりはまずないのではなかろうと思っていましたが、予想通り、非常に模範的な回答をだしました。
これでさらにインドが攻撃を仕掛けるようであれば、国際世論はインドへの批判の声も上がってくるでしょう。
インドが素直に、パキスタンとの対話に応じてくれれば良いのですが…
ただ、パキスタンはインド機の撃墜は報復ではなくあくまでも国防の責任を果たしたにすぎないと強調していますが、撃墜したのは少々まずかったのではないかと思います。
威嚇にとどめて追い払うべきでした。 撃墜されたままではインド側は黙っていないのでは。
関係改善に向けて
表面上はカシミールでカシミールの人々が往来できる国境ができたり、両国での会談がもたれたり、インドのシク教徒がビザなしでパキスタンの聖地に巡礼ができるカルタールプル回廊の建設着手が始まるなど、両国の関係は改善しつつあるように見えましたが、
やはりそう簡単に全ての問題が片付くわけではないようです…
こんなことになってしまって本当に残念。
過去の事、歴史上の事です。
実際に何が起きていたのかはその時、その場にいた人にしかわからない。
でも客観的に見る限り、ちょっとパキスタンがやらかしちゃってるな〜感はあります。
どうか今回はパキスタンが大人になって、このまま和平を訴えていってほしい。
これ以上大事にならず、自体が無事収束しますように。
インドが攻撃的ではないと信じたい。
カシミールにスポットを当てたインドとパキスタンの対立に関してもまとめていますので、
こちらも合わせてご覧下さい。
お読みいただきありがとうございました!
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すずけーさんはインドの歴史も詳しいとは!ちょっと尊敬した。(笑)ついでにパキスタンとインドの争いもなくなれい。(笑)
ひろさん
私もともとインド好きでパキスタンもついでに行ってた感じだしね。
さすがに時代とかは確認したよ(笑)